(2009年8月15日更新)袋田へ

 今日から会社のお盆休みなのだが、昼頃思いついて、一度行ってみたいと思っていた袋田の滝を見に行くことにする。どうせ、郡山へ墓参りに行くので、水郡線を使えば、そのまま郡山にも寄れる。ホテルに電話で予約を入れて、1時間半くらいで荷物をまとめ、出発。珍しく、腰が軽いように見えるが、背中を押される事情も色々あったので(追求不可)。それでも、本を何持って行こうかで30分くらい悩んでいた。結局、積ん読になっている池田信夫推薦本3冊、"Free" Chris Anderson、「500億ドルでできること」ビョルン・ロンボルグ、「ミラーニューロンの発見」マルコ・イアコボーニの3冊を手に取る。半ば、温泉で読書合宿でも良いか、という積もりだった。後の荷物は、着替えとかたいした物もないので、リュック一つと手回りの物を入れる小さめのショルダー1つ。大慌てで荷物をまとめ、電車に乗る。
・・・
 さあ、水戸に着いた。もうだいぶ日が落ちてきた。水戸から水郡線に乗り換える。

4両編成で、ペイントもカラフルでかわいい。かわいすぎて、ローカル線的おもむきにかけるなあ。

ドア閉まってるぞ、

と、思いきや、ボタンが!押すと開きます。

ふと見ると、整理券!見上げれば、電光料金表。バスです。ワンマン運転時はこれを使うのだそうです。すごい。
・・・
 袋田に到着。

すっかり暗くなってしまった。「夜汽車でやってきたあいつ」になった気分。

駅には誰もいません。朝の8時から夕方の16時までしか改札はいません。夜8時近くだったと思うけど、無人駅です。周りも真っ暗です。蝉の声しかしません。ああ、夜ってこういうものだったんだな、と久しぶりに思いました。
 で、ホテルに電話して迎えに来て貰いました。ホテルに着いたら、入り口のところで、カブトムシが息絶えていました。夕食は5時半から7時半だそうなので、夜9時から営業を始める「ラーメン居酒屋」で味噌ラーメンと枝豆とビール。腹が満たされたところで、風呂に入り、風呂上がりにビールを飲みながら、懐かしのアーケード「ぷよぷよ」。腕が落ちたなあ。

 「ミラーニューロンの発見」読みながら、寝ました。明日に続く。

ロンドン旅行記(5):タワー・ブリッジ〜アビー・ロード〜ベーカー街

  • タワー・ブリッジ

 ロンドン塔の後は、隣のタワー・ブリッジを見物に。

タワーブリッジ - Wikipedia
http://www.towerbridge.org.uk/TBE/EN/



ロンドン塔よりも塔らしい偉容です。



東側を見ると、何かと話題のO2アリーナが見えます。

塔の部分の上を見上げると、人形が仕事してます。

南岸に渡ると、地面に書かれた青い線を辿っていけ、といわれます。言われるままに、橋の下に階段で降りるとエンジンルームを見学できます。今は電力で動かしているそうですが、昔は橋を持ちあげていた石炭の動力機関を見学できます。


 タワー・ブリッジを見終わると、そのままテムズ川の南岸をぶらぶらと地下鉄のLondon Bridge駅を目指して歩きました。この辺は、所謂、シティ、ヨーロッパ随一の金融街です。ガラス張りの超モダンな建物が並びます。

  • アビー・ロード

 まだまだ日暮れまでは時間もあるので、そのまま、アビー・ロード(St. John's Wood駅、Jubilie Line)を見に行きました。地下鉄の駅を出て、Grove End Roadを進み、坂を下りていき、突き当たりの三叉路です。

より大きな地図で London を表示

アビー・ロード・スタジオの壁は落書きOKだそうです。


あのアビー・ロード・スタジオです。周りは瀟洒な高級住宅街という感じです。


何の変哲もありませんが、世界一有名な横断歩道です。せっかくなので、3回くらい往復してみました(笑)。靴は脱ぎませんでした(笑)。

周りは普通の何もない住宅街ですが、地下鉄の駅前のコーヒーショップだけはビートルズ関連のショップになっていました。

  • ベーカー街

 ついでに、隣駅のベーカー街にも行ってみました。



地下鉄Baker Street駅の構内は、シャーロック・ホームズのタイルです。

小説の中のベーカー街のホームズの番地は最初実在しなかったそうです。


地下鉄の駅前には世界一の名探偵の銅像が建っています。

行ったときにはもう閉まっていましたが、シャーロック・ホームズ博物館というのもあります。ドアのところには、「1888年、8月31日金曜日、9月8日土曜日、9月30日日曜日、ホワイトチャペルの辺りで女性が殺害された。お心当たりの方は警察まで至急連絡を」という張り紙が(笑)。これ、きっとシャーロック・ホームズに出てくるんでしょうね。
 マダム・タッソーの蝋人形館もこのすぐそばです。なんか、そういうところなんですね、この辺。
 この日もへろへろになって、宿に帰りました。それで、ホテルの近所のベジタリアンベトナム/中華・レストランにいったんじゃなかったかな、確か。

ロンドン旅行記(6):キュー・ガーデン

Royal Botanic Gardens, Kew | Kew
http://www.kew.org/visitor/kew-map.htm
キューガーデン - Wikipedia

  • Kew Garden Station 〜 Victoria Gate


 キューガーデン(Royal Botanic Gardens, Kew)は、District LineでKew Garden下車。ロンドン中心から1時間弱くらいで着きます。駅を降りたら歩道橋を渡って反対側に周り、ぞろぞろとおばちゃん達について行けば、一本道の突き当たりすぐです。


 この126ヘクタールの庭園は、王室の庭園であるだけではなく、研究機関として世界中の植物の種子の保存を行っています。何の役に立つか分からないから、全部集めて保存する。大英博物館にしてもそうですが、このアーカイブという思想がすごいと思います。


 とにかく広いので、カートにまず乗って一周しました。126ヘクタールということは、1km四方以上、東京ドーム40個以上なので、地図だけはまず最初にしっかり手に入れておきましょう。カートの切符はリストバンドで、カートの運転手から買います。1周するのにこれで40分くらいかかります。途中に停車場が8カ所くらいあります。まずは、あたふたせずにじっくり見るかと思って、カメラもしまって、解説聞いていたら、途中で放し飼いのクジャクに出くわしましたが、シャッターチャンス逃しました。


 まずは腹ごしらえ。ほぼ3/4周した辺りの園内のレストランで途中下車して、昼食に。サーモンとジンジャー・ビール。ジンジャー・ビールはアルコール分低いですが、ショウガが効いていて独特の風味があり、おいしかったです。


腹ごしらえしたので、入口まで歩いて戻ります。まずは、Kew Palaceです。

  • Banking on Life


世界最大の種だそうです。実ではなくて種・・・。

  • Wild Flowers & Bees


マグノリアの花。大柄な花が木一杯に咲いている様は壮観です。


フレームに沿わせているので、中から見ても、外から見ても見事です。

モグラの穴だそうです。



この辺りは色々見所が多い辺りです。





ロック・ガーデンです。高山植物が集められています。岩山を再現して育てています。このヘルメットのような建物も素晴らしいです。



ちょっと横にそれると、こんなところが。秘密の花園といった感じです。

実際の環境に近い形で育てているのでしょう。次いで、大きな温室に進みます。



イグアナも温室の中で放し飼いになっています。



これは、Titan Arumという世界最大の花だそうです。5月2日に咲いたようですが、私が行った5月6日にはもう終わっていました。世界最大の花といっても、これ、花しかありませんよ?不思議な植物があるものです。


サボテンもたくさんありました。

やっと、入り口付近に戻ります。

次はこの温室です。でも、その前に一休み、その前にトイレです!園内にはあまりトイレもないので、水分は控えめにした方が良いです。


売店の植木鉢。植物はやっかいでも、この植木鉢はかなり物欲そそられました。なんといってもロイヤル植木鉢です。紋章入りです。さすがにあきらめましたが。

スコーンとお茶で一休み。半分くらい食べたところで、風でスコーンを吹っ飛ばされました(涙)。こぼれたスコーンの粉を早速鳩が狙って寄ってきます。人慣れしてるなあ。しょうがないので、拾ってナプキンに包んで、蒔餌にしようと思いつきます。




さあ、いよいよ正面の温室です。温室の前の怪物の銅像は、歴代王様のマスコットなのだそうです。


なんと、バナナがちゃんとなっています。






かなりぎゅうぎゅう詰めで、どの植物も窮屈そうです。年代物ですが、この建築物としての美しさは、外から見ても中から見ても素晴らしいです。螺旋階段で上へ上がり、中央上から見下ろすことも出来ます。また、地下では熱帯魚も飼育しています。





隣には、蓮の花を中心に水生植物を集めた小さな温室もあります。



大温室から北西を目指します。この辺りは本当に英国庭園らしいです。




しばらく行くと、ツツジが円形に植えられた広場に出ます。どのツツジも満開です。こういう色々な広場があちこちに仕掛けられているのが、本当に芸術的で、感動を覚えました。



傍には、ブルー・ベルが植えられた一角も。



さらに、大通りに戻り、奥へ進みます。英国式庭園の特徴なのでしょうけど、こうした様々な広場の仕掛けと、ものすごく幾何学的な構成によりどこまでも見通すことの出来る”線”が存在します。歩いていると、この広場の“点”と、一本道の”線”のパースペクティブが入れ替わり立ち替わり眼前に広がります。この造園の妙。これが英国式庭園なのか、と感銘を受けました。


鳥もゆったりしたものです。ヒナは黄色いんですね。何とも愛くるしいです。




中央の池の中の島には白鳥が。橋を渡ります。さらに奥へ、奥へ。





この時期、終わりかけていましたが、辺り一面に咲き乱れるブルー・ベルは、やはり圧巻でした。






ブルー・ベルも見たので、ああ、疲れた、カートで戻ろうと、停車場まで戻ります。なかなか来ないので、近くの池を覗くと、鴨の親子が!隊列組んで家族でこちらの岸にやってきます。先ほどのスコーンをちぎって与えると、すごい勢いでパクつきます。ひとしきり、御家族で辺りを散策すると、また池に戻っていかれます。

それにしても、カート来ないな?と思い、よくよく時刻表を見ると、すでに終電は出た後です(笑)。まあ、1時間くらいはあるので、良かったですが。きっと、こうして、閉館時間以降も中に取り残される人や迷子になる人も、毎日大勢いるのではないでしょうか、ここ。なにせ、園内放送の類は何もなくて、静かそのものです。標識も最低限以下ですし。ちゃんと地図を持って、目印をちゃんとチェックしないといけませんが、それも大きな楽しみではあります。




帰り道に地中海庭園エリアに立ち寄りました。




途中で、今更ながら、パースペクティブのすごさに気づきましたが、やはり、これは温室の裏手中央が起点になっているのですね。ここに立つと、遙か遠くの中国式の塔と中央の一本道が遙か先まで一望できます。実際に歩いていると、目の前のものだけに気を取られてなかなか気がつかないのですが、ここに行った人は一度はこのポイントに立ってみると良いでしょう。庭園設計者の構想のすごさが分かります。

  • さよなら、キュー・ガーデン





名残惜しいですが、時間切れです。慌てて売店に駆け込み、あと5分で閉めるから早くしろとおばちゃんにせかされながら(営業終了時間とか、そういうのだけは、向こうは厳守だ)、園芸用エプロンだけ買いました。もったいなくて使わないだろうなあ。

疲れ果てて、駅前のパブでギネスで一休み。さすがに毎日これだけ歩くとへろへろです。アンメルツを持って行って、毎日、シャワー後に塗りまくっていましたが、良く足が吊らなかったものだと思います。万歩計毎日身につけていましたが、一日2万5千歩は歩いてましたからねえ。
 この日は、ホテルの近くのインド料理屋でカレーを食べたんだったと思います。あんまりインドっぽくなくて、普通にカレーでおいしかった。

ロンドン旅行記(7):ナショナル・ギャラリー

http://www.nationalgallery.org.uk/
ナショナル・ギャラリー (ロンドン) - Wikipedia


 最終日は飛行機が夜出発だったので、ナショナル・ギャラリーを見に行った。ルーブルとかエルミタージュに比べると小さいが、それでも教科書に出てくるような画家の絵は何かしらある。もうこの辺まで来ると、さすがに観光疲れでへろへろだったなあ。工事などもやっていて、見ることが出来ない絵も多かったような。音声ガイド借りて、解説聞きながら回ったけど、解説ないと絵画は面白さが十分に分からないんで、借りて良かったな。その他に、5月7日に書いたことに付け加えることはあんまりないような気がしてきた。まあ、これでいったところは全部書いたか。

ロンドン旅行記(8):まとめとよもやま話

 ああ、やっと片付いた。後は四方山話だ。
 昨日テレビで「ダヴィンチ・コード」をやっていたので、ついついずっと見てしまった。原作は読んだけど、映画は見ていなかった。原作読んでないと、あれは謎解きの面白さが分からないだろうなあ。あれ読んで、ロンドン行こうか、と思いだしてから、数年。やっと行ってきたのだな。
 映画の中のロンドンでもそうだったけど、あの赤い公衆電話ボックス、未だにあるんだよなあ。誰ももう公衆電話なんか使わないのに。まあ、旅行客にしてみれば、あった方が良いんだけれど。なかば、観光資源なんだろうか。覗くと、日本と同じで怪しげなテレクラかなんかの広告が貼りまくられているんだが、あれは日本の真似をしたのだろうか?

 今回泊まったホテル。ネットで調べると、周りのパブやレストランが朝ビールなどのガラス瓶をゴミ捨て場に持って行き、やかましい音を立てるのが耐え難い、と書かれていて、どうなんだろう?と不安になったが、まあ、それなりにうるさかったが、こちらも時差ぼけでその時間には目が覚めていたので、大して苦痛ではなかったが、グーグルで検索すると、そんなことまで分かってしまうんだよな。こういう余計なお世話がどれだけグーグルのせいで増えたのだろう?でも、荷物を持って道に迷うのが嫌だったので、ホテルの周囲はGoogleストリートビューで調べておいたが、これは良かった。実際にその場に行ったときの勘が違う。


 ホテルの近くのパブ。金曜や土曜はこんな感じで大騒ぎになる。まあ、要するに、パブって何のことはない立ち飲み屋です。でも、サッカーの試合があると、家に帰る人が多いみたい。最近は英国も酒税が上げられたので、パブも潰れているというニュースが数日前に新聞に出ていたが、それでも繁盛しているように見えた。ビール一杯で延々と立ち飲みしている。テーブルもいらないが、回転率は悪そうだ。単価も低い。ビール一杯で延々と大騒ぎしている。居酒屋より儲からなさそうに見える。
 酒もそうだが、結構煙草もあちこちで吸っている。煙草に関しては、アメリカほどうるさくない感じ。街中にも結構灰皿あるし。喫煙者的には居心地を決める重要なポイント。

 行きそびれたけど、ホテル近くの日本食レストラン。NIKONIKOというのが、笑える。それにしても、本当にアジア料理多い。でなければ、イタリアンだ。無いのはイギリス料理レストランだけではないのか?というくらい。まあ、大英博物館の近くはホテルも多いようなので、観光客中心のレストランが多かったのかもしれない。まあ、どこもそれなりの味でそれなりの値段という感じ。ロンドンの物価は高いけど、まあ、こんなものか、という感じ。アメリカでも、朝はドーナツ1個、昼はサンドイッチ、夜はドカ食いというのが、彼らのごく普通の食生活なので、夜だけは外食だと£15〜20くらいみておいたほうがいいだろう。ビール1本と一皿という感じで、アジア系レストランで頼んでいると、そこまではかからなかったと思う。

 ストーンズの71年のイギリスツアーのポスターが額に入って、ワインショップのウインドウ−に飾ってあった。こういうヴィンテージ・コレクション、好きだなあ、本当に。ワインと一緒か。ベーカー街にもこういうロック関連のコレクターズ・ヴィンテージ・アイテム専門店あったけど。ポール・マッカートニー大麻で捕まって中止になったWingsの初来日公演のチケット、未だに持ってるのが自慢なんだけど持って行ったらいくらで売れるんだろう?絶対売らないけど。でも、もうポールの来日公演ないかもな。すると、完全に見逃したんだ。馬鹿だなあ。


 ホテルの近くには電気街みたいなところがあって、電気屋がずらっと並んでいた。でも、大型店はなく、所謂昔ながらの電気屋さんが並んでいる感じ。やっぱり、秋葉原になれている身からすると、すごく寂しい。こういう感覚から見ると、最新商品のちょっとした違いなんてどうでも良い感じ。



 勢いがあったのが、日本ブランド。無印良品ユニクロがすごく目立っている。ユニクロはアニメとコラボのTシャツの広告を地下鉄の駅でも見かけた。袋持っている人も実際に結構見かけた。ベネトンとか、そういうところと並んでブランドという感じで店を構えている。無印も日本人客はあんまりいなくて、普通に売っている。でも、値札なんか日本語併記のまま、つまり日本で売っているままの状態でロンドンでも売っている。不思議な感じ。見た目、全く日本と同じ。違うのは人だけ。ああいう細かい気配りした商品って、驚きなのかもしれない。むしろ、使い方が分からないものもあるかもしれない。それぞれ、ロンドンっ子はどう受け止めているんだろう?でも、家電製品より、全然元気で、お店もおしゃれな感じ。これからは海外で日本を代表するブランドというと、ユニクロと無印、という時代になるのかもしれない。

 勿論、ロンドンに進出している海外ブランドは、日本だけではない。上はアメリカの大型書店"BORDERS"。当然、至る処にスターバックスも腐るほどある。イギリス人も紅茶を飲まなくなっているのかもしれない。マクドナルドも言うに及ばず。中身は90%以上は、どれも世界共通のようだ。便利なのか、面白くないのか。英語圏だから、敷居は低いはずだし、他のヨーロッパの国ほど違和感はなく溶け込んでいるようにも見える。


 でも、煉瓦造りの町並みはやはり健在。ボストンなんかと比べても、全然決まっている。それも、あんまりすす汚れてなくて、きれいなところが多かったような気がする。

 これ、昨日の「ダヴィンチ・コード」でもちらっと出てきていたような気がする。こういうモニュメントは、やはりばっちり決まっています。


 あと繁華街では目立つのは、やっぱりミュージカルの劇場。やたらと大きくて派手な飾りが目につきます。


 2階建てバスも、地元の人は子連れでもなければ、混んでいない限りわざわざ2階まで上らないんだろうな。乗り過ごしそうだし。

 地下鉄はどれも年期ものなので、駅も古いし、電車も小さいです。いつも混んでいます。でも、一番正確。運休とか工事してなければ、の話だけど。Oysterカードというのを買ってずっと使っていました。チャージして使いますが、一日の上限があるのでお得です。このカードのチャージくらいしか自動販売機はないので、小銭が貯まって困りました。海外いったら、小銭をちゃんと覚えないとすぐ財布が一杯になってしまうんだよなあ。イギリスは、£1、2と50、20、10、5、1ペニー。めんどくさがらずに早くなれた方が良い。
 なんにせよ、英語は通じるし(当たり前)、アメリカほどうるさいところはないし、季節も良かったし、ロンドンは良いところだった。初心者としては、観光名所ばかり回ってしまったかな、という思いはあるが、行きたかったところはまだまだあるし、また、いつか行ってみたいもんだ。

旅行記
ロンドン旅行記(1):London Eye - golgo139:用件を聞こう……。
ロンドン旅行記(2):Big Ben 〜バッキンガム宮殿〜セント・ジェームズ・パーク〜ウェストミンスター寺院〜テート・ミュージアム〜チャイナタウン - golgo139:用件を聞こう……。
ロンドン旅行記(3):大英博物館 - golgo139:用件を聞こう……。
ロンドン旅行記(4):倫敦塔 - golgo139:用件を聞こう……。
ロンドン旅行記(5):タワー・ブリッジ〜アビー・ロード〜ベーカー街 - golgo139:用件を聞こう……。
ロンドン旅行記(6):キュー・ガーデン - golgo139:用件を聞こう……。
ロンドン旅行記(7):ナショナル・ギャラリー - golgo139:用件を聞こう……。
各日(現地で書いた分):
2009-05-02 - golgo139:用件を聞こう……。
2009-05-03 - golgo139:用件を聞こう……。
2009-05-04 - golgo139:用件を聞こう……。
2009-05-05 - golgo139:用件を聞こう……。
2009-05-06 - golgo139:用件を聞こう……。
2009-05-07 - golgo139:用件を聞こう……。

ロンドン旅行記(4):倫敦塔

 しかも余は他の日本人のごとく紹介状を持って世話になりに行く宛もなく、また在留の旧知とては無論ない身の上であるから、恐々ながら一枚の地図を案内として毎日見物のためもしくは用達のため出あるかねばならなかった。無論汽車へは乗らない、馬車へも乗れない、滅多な交通機関を利用しようとすると、どこへ連れて行かれるか分らない。この広い倫敦を蜘蛛手十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何らの便宜をも与える事が出来なかった。余はやむを得ないから四ツ角へ出るたびに地図を披いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地図で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時はまたほかの人に尋ねる、何人でも合点の行く人に出逢うまでは捕えては聞き呼び掛けては聞く。かくしてようやくわが指定の地に至るのである。(夏目漱石「倫敦塔」)

 夏目漱石は、明治33年(1900年)5月に文部省の命を受け、英文学研究のため英国留学し、明治36年1903年)に日本に帰国するまでロンドンで過ごします。短編(小説と言って良いのかどうか)「倫敦塔」は、1905年1月に『帝国文学』に発表されます。
夏目漱石 - Wikipedia
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 倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである。過去と云う怪しき物を蔽える戸帳が自ずと裂けて龕中の幽光を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが逆しまに戻って古代の一片が現代に漂い来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。(夏目漱石「倫敦塔」)

 ロンドンの地下鉄は1863年に運行開始しています。倫敦塔の最寄り駅Tower HillのCircle Lineは1884年、District Lineは1868年に開通しています。漱石の下宿はテムズ南岸だったようですが、Northern Lineも1868年には開通しています。そこを歩いていったんですね。地下鉄にもバスにも乗らなかったんですね。でも、時は1900年です。「地球の歩き方」なんて、当然、まだありません。19世紀最後の年にやってきた漱石の目に映ったロンドンはどれほどの驚きだったでしょうか。「漱石発狂す」という噂が流れて呼び戻されるまで、彼はこの地で過ごしますが、彼が全身で感じたギャップというのはどれほどのものだったのでしょうか。ホイホイと飛行機で12時間くらいでやってきて、数日間お気楽な観光客をやって帰って行く2009年の我々と、1900年の彼の間の途方もないギャップ。それが109年間という年月の間に起こった変化なのだと思います。
 ロンドン到着4日目には倫敦塔〜倫敦橋に行きました。私は、テムズ北岸の大英博物館近くに泊まっていたので、バスでまず倫敦塔に行き、その後で倫敦橋に行きました。漱石とは順番が逆ですが、漱石の「倫敦塔」を読み返しながら、写真を見返してみます。109年の年月を経ても、変わらずそこに立ち続ける倫敦塔と変わり続ける私達。倫敦塔の向こうに109年前の漱石の想いは見えてくるでしょうか。

この倫敦塔を塔橋の上からテームス河を隔てて眼の前に望んだとき、余は今の人かはた古えの人かと思うまで我を忘れて余念もなく眺め入った。
・・・
そうしてその中に冷然と二十世紀を軽蔑するように立っているのが倫敦塔である。汽車も走れ、電車も走れ、いやしくも歴史の有らん限りは我のみはかくてあるべしと云わぬばかりに立っている。その偉大なるには今さらのように驚かれた。この建築を俗に塔と称えているが塔と云うは単に名前のみで実は幾多の櫓から成り立つ大きな地城である。並び聳ゆる櫓には丸きもの角張りたるものいろいろの形状はあるが、いずれも陰気な灰色をして前世紀の紀念を永劫に伝えんと誓えるごとく見える。(夏目漱石「倫敦塔」)



 右手の木に隠れている辺りが倫敦塔です。

空濠にかけてある石橋を渡って行くと向うに一つの塔がある。これは丸形の石造で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱のごとく左右に屹立している。その中間を連ねている建物の下を潜って向へ抜ける。中塔とはこの事である。(夏目漱石「倫敦塔」)



 この塔でライオンを飼っていたそうです。

 また少し行くと右手に逆賊門がある。門の上には聖タマス塔が聳えている。逆賊門とは名前からがすでに恐ろしい。古来から塔中に生きながら葬られたる幾千の罪人は皆舟からこの門まで護送されたのである。彼らが舟を捨ててひとたびこの門を通過するやいなや娑婆の太陽は再び彼らを照らさなかった。テームスは彼らにとっての三途の川でこの門は冥府に通ずる入口であった。彼らは涙の浪に揺られてこの洞窟のごとく薄暗きアーチの下まで漕ぎつけられる。口を開けて鰯を吸う鯨の待ち構えている所まで来るやいなやキーと軋る音と共に厚樫の扉は彼らと浮世の光りとを長えに隔てる。彼らはかくしてついに宿命の鬼の餌食となる。明日食われるか明後日食われるかあるいはまた十年の後に食われるか鬼よりほかに知るものはない。この門に横付につく舟の中に坐している罪人の途中の心はどんなであったろう。櫂がしわる時、雫が舟縁に滴たる時、漕ぐ人の手の動く時ごとに吾が命を刻まるるように思ったであろう。(夏目漱石「倫敦塔」)



左りへ折れて血塔の門に入る。今は昔し薔薇の乱に目に余る多くの人を幽閉したのはこの塔である。草のごとく人を薙ぎ、鶏のごとく人を潰し、乾鮭のごとく屍を積んだのはこの塔である。血塔と名をつけたのも無理はない。(夏目漱石「倫敦塔」)


この寝台の端に二人の小児が見えて来た。一人は十三四、一人は十歳くらいと思われる。幼なき方は床に腰をかけて、寝台の柱に半ば身を倚たせ、力なき両足をぶらりと下げている。右の肱を、傾けたる顔と共に前に出して年嵩なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝の上に金にて飾れる大きな書物を開げて、そのあけてある頁の上に右の手を置く。象牙を揉んで柔かにしたるごとく美しい手である。二人とも烏の翼を欺くほどの黒き上衣を着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人共ほとんど同じように見えるのは兄弟だからであろう。(夏目漱石「倫敦塔」)




 エドワード4世の王子、エドワード5世とヨーク公リチャードの兄弟は、1483年に父の死後ロンドン塔に幽閉されたまま行方不明となります。王位を簒奪したリチャード3世が殺害したという説など諸説ありますが、真相は不明です。1624年に二人の子供の骸骨が、白塔の壁の中から発見されています。現在、血塔では、この犯人は誰だと思うか?という投票を行っています。また、二体の骸骨が発見された部分の白塔の壁は、川側から登る階段沿いで、通りがかると子どもの声がテープで流されていました。こういう悪趣味な演出をする人たちの祖先なのだから、本当にそういうことがあったんだなあ、と妙に説得力を感じます。

 空想は時計の音と共に破れる。石像のごとく立っていた番兵は銃を肩にしてコトリコトリと敷石の上を歩いている。あるきながら一件と手を組んで散歩する時を夢みている。
 血塔の下を抜けて向へ出ると奇麗な広場がある。その真中が少し高い。その高い所に白塔がある。白塔は塔中のもっとも古きもので昔しの天主である。竪二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に角楼が聳えて所々にはノーマン時代の銃眼さえ見える。千三百九十九年国民が三十三カ条の非を挙げてリチャード二世に譲位をせまったのはこの塔中である。僧侶、貴族、武士、法士の前に立って彼が天下に向って譲位を宣告したのはこの塔中である。(夏目漱石「倫敦塔」)




 今、この塔の内部では様々な王家の武具を展示しています。

余が感服してこの甲冑を眺めているとコトリコトリと足音がして余の傍へ歩いて来るものがある。振り向いて見るとビーフ・イーターである。ビーフ・イーターと云うと始終牛でも食っている人のように思われるがそんなものではない。彼は倫敦塔の番人である。絹帽を潰したような帽子を被って美術学校の生徒のような服を纏うている。太い袖の先を括って腰のところを帯でしめている。服にも模様がある。模様は蝦夷人の着る半纏についているようなすこぶる単純の直線を並べて角形に組み合わしたものに過ぎぬ。(夏目漱石「倫敦塔」)



 ビーフィーターというと、ジンの商品名だとしか思っていませんでしたが、ここから来ているんですね。この塔全体は陸軍によって管理されています。お飾りだけではないようです。


 現在も、このJewell Towerでは王家の戴冠式に用いられた王冠などを展示・保管しています。世界最大のダイヤモンドや歴代王の王冠などが展示されています。この区域は写真撮影禁止でした。

白塔を出てボーシャン塔に行く。途中に分捕の大砲が並べてある。その前の所が少しばかり鉄柵に囲い込んで、鎖の一部に札が下がっている。見ると仕置場の跡とある。二年も三年も長いのは十年も日の通わぬ地下の暗室に押し込められたものが、ある日突然地上に引き出さるるかと思うと地下よりもなお恐しきこの場所へただ据えらるるためであった。久しぶりに青天を見て、やれ嬉しやと思うまもなく、目がくらんで物の色さえ定かには眸中に写らぬ先に、白き斧の刃がひらりと三尺の空を切る。流れる血は生きているうちからすでに冷めたかったであろう。(夏目漱石「倫敦塔」)



 血塗られたイメージがあまりに強いのですが、ここに収容されたのは思想犯や政治犯などが多く、実際に処刑されたのは50人とか100人くらいのものだったそうです。3度もここに収容されたり、10年も家族と幽閉され、子供もこの中で生まれた強者がいたそうです。

烏が一疋下りている。翼をすくめて黒い嘴をとがらせて人を見る。百年碧血の恨が凝って化鳥の姿となって長くこの不吉な地を守るような心地がする。吹く風に楡の木がざわざわと動く。見ると枝の上にも烏がいる。しばらくするとまた一羽飛んでくる。どこから来たか分らぬ。傍に七つばかりの男の子を連れた若い女が立って烏を眺めている。希臘風の鼻と、珠を溶いたようにうるわしい目と、真白な頸筋を形づくる曲線のうねりとが少からず余の心を動かした。小供は女を見上げて「鴉が、鴉が」と珍らしそうに云う。それから「鴉が寒むそうだから、麺麭をやりたい」とねだる。女は静かに「あの鴉は何にもたべたがっていやしません」と云う。小供は「なぜ」と聞く。女は長い睫の奥に漾うているような眼で鴉を見詰めながら「あの鴉は五羽います」といったぎり小供の問には答えない。何か独りで考えているかと思わるるくらい澄している。余はこの女とこの鴉の間に何か不思議の因縁でもありはせぬかと疑った。彼は鴉の気分をわが事のごとくに云い、三羽しか見えぬ鴉を五羽いると断言する。(夏目漱石「倫敦塔」)



 レイブンです。カラスをわざわざ飼っているのは、ここくらいのものでしょう。人になれていますが、大きくて不気味です。

倫敦塔の歴史はボーシャン塔の歴史であって、ボーシャン塔の歴史は悲酸の歴史である。十四世紀の後半にエドワード三世の建立にかかるこの三層塔の一階室に入るものはその入るの瞬間において、百代の遺恨を結晶したる無数の紀念を周囲の壁上に認むるであろう。(夏目漱石「倫敦塔」)





 囚人が壁中に無念の思いを掘ったものがそのまま残されています。

自分ながら少々気が変だと思ってそこそこに塔を出る。塔橋を渡って後ろを顧みたら、北の国の例かこの日もいつのまにやら雨となっていた。糠粒を針の目からこぼすような細かいのが満都の紅塵と煤煙を溶かして濛々と天地を鎖す裏に地獄の影のようにぬっと見上げられたのは倫敦塔であった。(夏目漱石「倫敦塔」)



 ちょうどここを出た頃は霧雨でした。

ロンドン塔 - Wikipedia
Tower of London | Historic Royal Palaces

ロンドン旅行記(3):大英博物館

British Museum - Visiting
英国政府観光庁 | VisitBritain
大英博物館 - Wikipedia

 まあ、人の旅行記なんて、大体退屈なものなので、御迷惑ではあるが、写真含めて整理しておきたいんで。

 着いて3日目、実働2日目。いよいよ、大英博物館へ。ここの近くのお土産物屋にユニオンジャックのビキニパンティが置いてあって、「今年の苗場のオアシスで、これ被って、"Noel or Die!"とか"Sex Turkey"のプラカードでも持って前の方で騒いでいたら、絶対目立つなあ・・・」などと馬鹿なことを考えたものの、大人なので買わなかったが、買いたかったのも否定できない事実である。この辺りはあんまり大通りもないので、意外に道はわかりにくいかもしれない。何人かにこの辺で道を聞かれたような気もする。俺に聴いてどうするんだろう?とも思ったけれど。
 基本的に常設店は入場料無料で、寄付少々。3ポンドくらい入れた。入場証もないので出入りは自由。途中で何回か、外に煙草を吸いに行ったが、結局、予想通り一日潰れた。それでも当然全部を回ることは出来なかった。毎週木・金は開館時間を夜まで延長しているので、足が棒どころではなく、一歩も歩けなくなったかもしれない。この日も2万5千歩は歩いているはずだ。ちなみに、これは去年のフジロックより多い数字だ。大英博物館は、まず体力が求められる。

 これだけ広いと、音声ガイドよりマップやコースガイドだな、と思い、"Visitor's Guide -15 Self-Guided Tours- "というのを£3.5で買い求め、これでベーシックTour1とアジアパシフィックTour4を回った。Tour4は、もう駆け足。多分、ざっと回るのに3日間、ちゃんと見ようとしたら1週間はかかるだろう。
 さて、まずはエジプト!



 何でこんなに大きくて怖いんでしょうね。夜、警備員さんは怖いだろうな・・・。

 人気一ロゼッタストーン。これは古代エジプト語(ヒエログリフ)とギリシャ語で書かれているんですね。なので、これが古代エジプト後の解明の突破口になったそうです。来年は、年賀状ヒエログリフで書いてみようかな。結構入門書あるんですよね。どうせ、1月1日に届く葉書だから、読めなくても大体用は済みそうだし。
 次は、ギリシャ


この辺、全部パルテノン神殿からかっぱらってきたそうです。



実は、昔、ギリシャには一度行っているので、あんまり改めて感動はないです。でも、やっぱりすごいです。


上の2つの彫刻は、突然消滅したの世界七不思議一つ、Halikarnassosのものだそうです。この七不思議のうち二つを大英博物館は収蔵しているそうです。この博物館自体が世界で一番不思議なところなのかもしれません。
 どんどん行きます、はい、アッシリアのライオン狩りのレリーフ


これは、今回一番驚きでした。彫刻にすれば良いってもんじゃないよ、レリーフでも十分。実に見事です。でも、ライオン狩りって危なそうだよね・・・。普通、やらん。アッシリアの王様、スゲ〜。
 この辺で昼飯。

ここのカフェも不満はありません。確か、ピザ食べました。普通においしかったです。何にせよ、この長い旅路の道すがらで食事が出来るというだけで、感謝です。


モザイクを見ながら、2階へ。
 さあ、いよいよ、



ミイラです!

猫とか、驢馬とか、色々な動物も、飼い主の巻き沿いでミイラにされたようです。ミイラって、脳味噌全部捨てられちゃうんですね。内蔵もポイされるそうです。なので、保存が利くそうです。我々現代人は、脳で考えるので、脳が捨てられてしまえば、人間の心もなくなってしまう、と考えてしまいます。でも、古代のエジプト人にはそういう発想はなかったのではないでしょうか。考えてみれば、脳が生きていても、体が死んでしまえば、脳も死にますから。そう考えれば、どちらが正しいとは簡単に言えないような気もします。でも、それで、グロい!とか、思っちゃうんですけどね。

 この日はこの辺でデジカメの電池が切れました(笑)。それで、かえって写真の呪縛から解き放れたかも。
 この後は、東洋系と中近東回りました。中近東は、あの美しくて可愛らしい青色の世界に昔から興味あるのですが、この分野はロンドンよりもパリの博物館の方が充実しているのではないでしょうか。
 この日は疲れ切って、ホテルの近くの韓国料理屋でビビンバ食べたんじゃなかったかな。