「ウェブ進化論」を読む---Web 2.0と国家---

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

2006-02-19 - My Life Between Silicon Valley and Japan
 やっと読了。山のような付箋(ポストイットだけど)だらけにしてしまった。こんなに付けると、結局もう1回読めと言っているようなもので、わざわざつける意味がない。
 全体通じて思ったことは、「Web2.0というのは、民主的共産主義だ」ということだ。つまり、独裁的でもなく、資本主義でもない。
民主主義独裁主義
資本主義アメリ今のロシア、中国
共産主義Web 2.0の世界昔のソ連、中国
 別にWeb2.0は国家の話ではないけれど、技術の話というよりも経済的・社会的な価値観の問題なのではないか。こういう四象限図を書いてしまったら、他のマスに企業など他の形態のコミュニティーを入れることは出来なかった。国家とWeb 2.0という問題が気になってきた。イデオロギーの話だとすれば、本当に考えなければいけないのは、企業とweb2.0ではなく、国家とWeb2.0ではないのか?そうした次元で異なるイデオロギーだから、グーグルマップに多くの国家が抗議を行ったり、中国に於ける検索エンジンの検閲でグーグルやヤフーが非難を浴びたりといった、国家との間の問題が発生するのではないか。
 今のところ、Web 2.0はバーチャルなネット上にしかない仮想空間世界の話だ。しかし、インターネットがリアルなコミュニティーとなり、国土を持つような日が100年後にはやってきたりするのだろうか?もし、そんなことがあるとしたら、国土なんて言う概念が意味を持たなくなるということだろうが。一番簡単に想像出来るのは、リアルな国家とバーチャルなネット上の境界無き世界の2つが共存する、という今の世界の延長線上だが、リアルとバーチャルの間の境目は決壊しないのか?それとも、リアルの秩序は常にバーチャルの秩序に対して優位性を保ち続けることが出来るのだろうか?
 選挙期間中のホームページ更新の禁止という話題がこの前あったけれど、それは典型的な旧世界の秩序を守ろうという動きだ。政治家もこうしたところに対しては敏感というか、本能的な危機感が機能したわけで、逆に言えば、旧世代としては尤もな反応なのだ。優秀な守旧派、ということだ。ネットで世界が動くようになれば直接民主主義が可能になってしまうのだから、間接民主主義業界で働く政治屋が抵抗するのは尤もなことなのだ。
 ジョン・レノンが生きていたら、「イマジン」に"Imagine all the people living in the web"という歌詞を付け加えただろうか?

「ネット進化論」を読む---グーグルは企業なのか?---

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

2006-02-23 - My Life Between Silicon Valley and Japan
 話が少しずれるので、章立てを分ける。「グーグル、お前は何者だ?本当に会社なのか?」というのが、この本を読んでいるうちに湧いてきたもう一つの大きな疑問だ。
 勿論、グーグルは会社だ。ちゃんとアメリカで上場を果たして、いまや10兆円の株式時価総額を持つ会社だ。しかし、この本で説明されている通り、どうにも会社っぽくないのだ。
 そもそも、会社の設立趣意書からして、「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセス出来るようにすること」をミッションとするというのだから、普通の会社ではない。しかも、本気でこの理念を実現しようとしている。前の話で言えば、CIAに喧嘩を売ることをミッションとすると言っているようなものだ。
 ならば、NPOでも良いのではないだろうか?という疑問も湧く。実際、最近発表されたグーグルパックでは、ノートンの「ノートン・セキュリティ」かなんかが、本来有料なのにフリーウエアとして配布されている。これは、マイクロソフト・オフィス潰しと見ても良いだろう。でも、こんな事をして、企業としては何の利益があるのか?ということになる。利益が上がらないのなら、何故こういうことをするのか?フリーウエアの幾つかをGoogleが標準として認めることで、デファクト化させるという気なら、それを通じて何をやろうとしているのか?社会貢献に過ぎないのか?それにしては、大々的にやりすぎではないのか?というのが、既存企業的な視点からの反応だろう。 
 この本を読んで初めて知ったが、ラリー・ペイジセルゲイ・ブリンの創業者2人は、マイクロソフト敵対的買収に対抗するための普通株式以上の強い議決権を持つ別の株式を保有しているという。一体どうすればこんな事が出来るのか、認められるのか、不思議だ。社会に対しては、世界の全ての知識を万人に対してオープンに公開しようとしていながら、自分たちのことについては極めてクローズな秘密主義を貫いている。Googleについて受ける印象は、この本でも述べられている通り、正に選良的なカルト集団なのだ。
 上の「Web2.0=民主的共産主義」説で言えば、Googleはむしろ独裁的資本主義というWeb2.0の対極にいるのかもしれない、と言う気すらする。ならば、それは今のロシアや中国と同じ考え方で、ただとてつもなくレベルが高いということだ。政治的に言うなら、それは発展途上の国においては場合においてはやむを得ない選択だが、常に危険をはらんでいる。ただ、Webという世界の成熟度を考えると、政治的に必要な選択なのかもしれない。
 彼らは、社会全体の活動の記録が有益であることを理解しているが、それを「正しい」と思っているのだろうか?「有益だ」と思っているだけなのだろうか?これは、「人工知能は本当に人間と同じ意味で考えることが出来るだろうか」という質問と同じことかもしれない。
 直感だけで、彼らの理念の本音を想像すればこういう感じではないのか。架空インタビューをしてみる。

「我々が企業という組織体を選択しているのは、それが現在の世界で成長するために最適の形式であると考えているからです。我々はIPOにより、死ぬまで何もせずに暮らしていけるだけの金を手に入れました。でも、何もしないで死を待ちながら暮らしていくなんて、そんなこと考えるとぞっとしませんか?我々がやりたいのは、我々がやりたいことをやりたいようにやることです。それは、この世界を少しマシな場所にすることです。ビル・ゲイツのように、手段を選ばずにゲームに勝ち続け、そうして得た富のほんの一部を、気まぐれでどこかに寄付してみせるようなことを言っているのではありません。
 当然、それには資金も必要です。経済的に成立しないようなものは国がするべき仕事ですが、経済的に成立するならば、それは民間で行うべきでしょう。我々は、十分な利益を上げながら、世界を変えることが出来ると信じているのです。
 その世界の中には当然中国だって含まれます。中国を変えるためには、まず我々も中国に進出する必要があります。勿論、中国政府によるグーグルのアクセス禁止に対して、放っておくという選択だってあったでしょう。でも、中国政府の情報提供の要求に応じて、中国でのビジネスに進出したいという企業は他にいくらでもあります。ならば、我々が進出した方が少しはマシだと思いませんか?
 何と言っても、我々は世界で尤も優秀な企業なんですからね。」

 書いているうちに、この後半部分への疑いが、どんどん膨らんでくる。グーグルが実現しようとしているかに見える”少しマシな世界”って何だろう?それは”富の再配分”のような仕組みのことなのだろう。究極のプラグマチズムという考え方は、イデオロギーなのだろうか、テクノロジーなのだろうか?それとも、ある意味、「人間とは?」という問に対する哲学的回答なのだろうか?
 Googleについては分からないことが多すぎる。この本に関する議論でも、Googleを評価しすぎだという意見があるようだが、それは結局、検索エンジン自体のビジネスの先に何をやろうとするのか?ということにかかっている。検索エンジンで広告モデルのビジネスに終わるなら、それは結局今の広告業界の枠を越えることはない。非常に効率的で異常に高収益のビジネスというところで頭打ちになってしまうだろう。それ以上の何をグーグルは本当に実現するのだろうか?というところが、個人的には興味がある。

Not Invented Here---NHK技研の独立行政法人化---

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f71223724caca8c8af3c4c4520cf00f4
 以前にUSの業界紙で、NHK技研を見学した記者が「こんな基礎研究を放送局が持っているなんて聞いたことがない」と書いていたのを読んだことがある。中身も、あれは国の研究機関としてやるようなものばかりだから、これは正論だと思う。別に自分たちでディスプレイとかカメラ作って売る訳じゃないんだし。そもそも、あの研究のために視聴料払いたいとは思わないんだけれどな。

日本の教育改革の必要性を示す具体例

http://blog.livedoor.jp/springflavor122/archives/50165246.html

ねえ、

日本が可及的速やかに、しなきゃいけないことはなんだと思う?

私は絶対教育改革だと思う。

何こいつ?あのクリスマスまでに彼氏作りますっていう慶応の奴だっけ?なんだよ、この「ねえ、」って、…。不特定多数に対して。こんなキモイ書きだし見たこと無い。

生きるのに苦労してないからそんな質問出てくんだろうね。

あたしも大して苦労してないけどさ。

生きることがどれだけ大変なことか知ってたら、

そんな質問できなくない?

そういう低レベルなことをぼやいてる奴らをまとめて、カルカッタマザーハウスとかルワンダとかに全員ボランティアに行かせるべきだと思った

向こうも迷惑だろうけど、頭下げて勉強させてもらいに行くべき。

お前がまず行け。

個人的には、内閣府事業で視察した中国の教育に感動したので、あれを取り入れるべきだと思ってる。(中国の学校についてはまた別エントリーでかくかも。)まあ中国は国家体制が悪いから、それを生かせてないけど。あの国はいろいろなもののバランスが悪すぎる。でも、人材の宝庫ではある。

じゃ、中国行け。日本人やめろ。

愛国心がないと、国力は上がらないから、資源のない日本は簡単に植民地化されちゃうであろう。
教育を徹底改革して、子供には常識を叩き込むべきだと思う。

こういうバカがファシズムを生むんだ、というサンプルみたいなこと言っているんで、唖然。

ニートっていうのは、「自分だけ幸せに暮らせればいい」っていう感覚が根底にある気がする。ニートをよく知らないから全否定は出来ないけど、

まず、仕事無いんだよ?

人間力が落ちてる!!

人間力を上げる教育が必要不可欠だと思われ。

ていうか、「なんで一生懸命働こうって意欲が失われつつあるの?」

って考えたんだけど、私なりの推測は、「愛国心がないから」。

お前みたいなバカばかりの世の中だからだ。

この間テレビで

「なんで人を殺しちゃいけないのか説明してください」

って言ってる高校生を見て、

「は?」って思った。

もしあれが私の子供だったら、末代までの恥。

こいつ、ドストエフスキーって、スケートの選手だと思っているかもしれない。

書いてて思ったけど、私の意見って、世間知らずで勉強不足の意見だと思うのね。(しかも、まとまってないし。)

ブログって、なんか凄いモノを露出させてしまう装置だよな。読んでいてこれだけ腹の立ってくるモノ読んだの久しぶりだな。こういう奴が日本の教育のレベルをさらにまた一段と低い次元に導いてしまったりするんだろうな。目の前でこんな事言われたら、泣き出されても罵倒を止められないと思う。最近、2チャンネルの読み過ぎで文体が荒んできたが、これだけは本当にこう思ったよ。

教育

教育

最近のサンボマスター

 全国ライブハウスツアーのチケット受付をファンクラブで始めた。新作は18曲70分だって。すげ〜。そのチケット、会員1人1枚限定受付。ヤフオクに出させないため。もっと大きな小屋でやっても良いし、その方がみんな見ること出来て良いじゃんという考え方もあるんだろうけど、これはこれで筋が通ってると思う。本当に聞きたい奴しか来ないからね、こうなると。まあ、ヤフオクも素人がダフ屋のまねごとする道具になっているのは事実だから。でも、こうなると、かなりファンクラブが優先的にゲットすることになるんだろうし、そうなると客層どうなるんだろうな?無茶苦茶濃くなりそうだ。

今週は新刊マンガがいっぱい

家畜人ヤプー 7 (バーズコミックス)

家畜人ヤプー 7 (バーズコミックス)

命がけの挑戦が肉便器たる誇りを生むのだ−−−−−(帯より)

 さあ、いよいよ、…。調教キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!この帯着いた本をレジに出して買う瞬間、なんか昂奮したよw。「カバー付けますか?」「お、御願いします、是非!」w。ここまで来ると、ヤプーが日本人のことだなんて忘れつつあって、ファンタジーになりつつあるなあ。心のイース化か?大体、あの白人の絵って普通の美形だから、白人対日本人という人種差別的構図がよく分からないんだよな。そこが問題なのかもなあ。
 とにかく、あまり行きすぎていると、グロさとかキモさが感じられなくなってくるんで、ここのところ形状の奇怪さを楽しむような場面が続いていたけど、さあ、いよいよこの辺から調教に入って参りました!次あたりから、いよいよ本格的に始まるね。

バガボンド(22)(モーニングKC)

バガボンド(22)(モーニングKC)

 吉岡清十郎を倒して、丸一巻中休み。こういうのもなんか凄いな。

最近懸賞や福引きなどで当たったものの自慢

 一昨日、iPod nano(2GB,W)、展示会の福引きで当ててしまったのだ。ガランガランで、金の玉がポトリ!「おお、い、一等賞〜!おめでとうございますっ〜!」グワラングワラン!!!当てた方も呆然としてしまったよ。こ、こんなところで、2台目のiPod nanoの為にオレは運を使い果たしてしまったのではないだろうか?!と言う気すらして、何だか青ざめた。その上、「お前は何しに行ったんだ!」と後で思い切りひんしゅく買った(笑)。まあ、嬉しいんだけど、2台あっても仕方ないし、ヤフオクに出して換金しても良いけど、それでお金入っても何となく余り嬉しくないんだよな。モノをタダで貰った!という直接的で具体的な喜びと、何でも買えるけど間接的で抽象的なお金に変換するというのは、やはり違う。お金にしても良いんだけど、なんかそうすると喜びが減るような気がして、何だか、損したような気になる。
 それにしても、最近色々当てまくってるなあ。この半年くらいに他に当てたモノって、「現代用語の基礎知識」、「はてなTシャツ(半袖+長袖)」、宇多田ヒカルのマグカップビックカメラの”100人に1人タダ”でPSPのソフト、映画のポスター、あと楽天祭りで"DEATH NOTE"も揃えてしまったし。トータル4万円相当くらいになるのかなあ。でも、チケットとか本当に当てなければいけないモノとか、肝心なところで外しているような気がするなあ。