「千々にくだけて」: リービ 英雄

千々にくだけて (講談社文庫)

千々にくだけて (講談社文庫)

 ちょうど文庫本が出たので、読んでみた。もう30年も日本に住んでいる日本文学の研究者/作家である彼は、年に一度、東海岸に住む母親や家族に会いに行く。そして、経由地のバンクーバーで、9・11テロが起こったことを知る。ニューヨーク行きの便に乗ることもできず、家族へもなかなか電話はつながらない。その宙づりにされた時間を描いたのが表題作。
 アメリカ生まれの英語を母国語とする人間が日本語で書いた小説。9・11が題材。と言う非常に悪く言いにくい小説なんだけど、「千々にくだけて」、「コネチカット・アベニュー」、「9・11ノート」は読んだけど、飽きてしまったので、「国民のうた」の障害者の弟が出てくるところまで読んで止めた。この弟の話は、「千々にくだけて」、「コネチカット・アベニュー」、「9・11ノート」には出てこない。もちろん、小説だし、微妙なテーマだけど、彼が日本に住むようになったことと無縁だとも言えないだろう。
 俳句というのは、普通の一般人は聞かされても、ああそうですか、良い景色ですね、そりゃすごいですね、みたいな相づち位しか言いようがないことを、ぼそっと17文字だけ言って、さあ、だからなんなのよ、としか思えないものになってしまった。さあ、この余韻を味わいなさい、みたいな、そういう欝とおしさをガイジンに押しつけられているような気がしてならなかった。

まつしまや、しまじまや、ちぢにくだけて、なつのうみ

なんて芭蕉の句を9・11テロに直面して思い出しているガイジンってなあ。そんなこと考える日本人はいないだろう。そんなこと考えるガイジンもいないだろう。その両国、二つの言葉の狭間に引き裂かれた彼の存在、と言うのが面白いと言えば、面白いのだが、それはどちらかと言えば、観察対象として面白いという話で、読んで素直に面白いと思えるようなものでもないんだよなあ。