Femmes@Tokyo 「隠された日記〜母たち、娘たち(仮題)」「歴史は女で作られる」@日経ホール

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「隠された日記〜母たち、娘たち(仮題)」
2009年公開/104分/カラー 提供:アルシネテラン
監督:ジュリー・ロペス=クルヴァル 主演:カトリーヌ・ドヌーヴ、マリナ・ハンズ、マリ=ジョゼ・クローズ
オドレイはカナダで、働くひとりの女だ。妊娠したが子どもを産むかどうか決心がつかない。彼女は生まれ故郷フランスの、小さな町、海辺の家に休暇で帰って来た。最近死んだ祖父の家の台所の食器棚から、祖母ルイーズの日記と金が出て来た。彼女は50年前、オドレイの母マルティーヌと弟を捨て、家出し、帰ってこなかった。医者になったマルティーヌは、なぜか母について語らない。半世紀の歴史のなかで、三世代の女たちの生き方の違い、自由の問題について描かれる。

 アメリカ映画とフランス映画の関係は少年漫画と少女マンガの関係に似ている。物語ドリブンと心理ドリブン。少年は少年漫画しか読めないが、少女はどちらも読める。
 なんてことを見てて思った。が、このイベントは、フランス映画祭ではなくて、「国際女性デー」のイベントなんだな。フェミニズムの話というと、ヨーロッパになっちゃうのか。アメリカの女って、余りに男らしくて、それに共感する人はカツマーで、フランス映画なんて見ないのかもなあ。
 この映画は、ジュリー・ロペス=クルヴァルもいいんですが、ドヌーブの存在感はやっぱり圧倒的。なので、そこを押さえた感じで映画を立てている辺りが、さすが。
 オドレイ、子供の父親、いい奴なのに結婚する気無いし、なのに、イケメンのギャルソンと遊んじゃうし、この子、結婚できないよなあw。気ままな生活だなあ。それが「自由」なのかどうかはともかく、人間、自分が手にしているものを手放すのは難しいよな。その代わりに手にする「子供」との人生がどんなに大切なものでも、それは手にするまで分からない。強制力に縛られてでも、やって見なきゃ分からないのかもしれない。そういうとこが良く出てたなあ。
 それから、最後にはっきりしない形で提示される「仮説」も後味悪いな。こういうのが、ヨーロッパの映画を見る醍醐味w。
 iPhoneとかMacとか、Appleばっかり出てくるんだよな。フランスでも、やっぱりそういうイメージが定着しているんだろうな。
 大傑作だなんて言うつもりはないけど、今の時代の話だし、見た後で話が弾む佳作、という感じ。

 で、これは、この映画自体よりも、ドヌーブ様を拝みに行ったというのが正直なところ。やっぱり、オーラすごいです。後ろから見ていても、びんびん来ました。どんな国家元首と向かい合っても、引けを取らないだろうなあ。貫禄ありすぎ。
 トークの受け答えも誠実で、コメントなのか、何を聴きたいのか分からない、諏訪敦彦氏の発言もきちんとあしらっていた辺りが、なんか、さすがという感じ。
 トーク後、2Fのコーヒーショップで近くでお見かけしましたが、やっぱり、お美しくすごかったですね。

歴史は女で作られる
1955年公開/110分/カラー シネマテーク・フランセーズ所蔵プリント
監督:マックス・オフュルス 主演:マルティーヌ・キャロル
 2008年にニュー・プリントの複製に成功し、カンヌ映画祭で上映。日本初となる今回の上映は、特別にシネマテーク・フランセーズより許可された、映画ファン垂涎のチャンス!
 ロラ・モンテス(1818−61)は、スコットランドで生まれた舞姫で、ババリアの王ルードヴィヒ一世の寵姫にもなり、数奇な運命を辿ったクルチザンヌ “高等娼婦”。椿姫ことマリ・デュプレッシとも親交があった。名匠マックス・オフュルス監督最後のこの作品は、1955年封切り当時、フランスはもちろん、日本でも、一部の批評家のみの絶賛で終わった幻の一作である。2008年、新しいコピーの復元に成功。半世紀以上を経て、ようやくその真価を確立した。今日では見られない映像の美しさが堪能できる。

 何十年か前にアテネ・フランセで見たっきりだったけど、改めて、このニュー・プリント見て感動。こういうの、もう、今じゃお金どれだけかけても作れないんだろうな。溜息つくのみ。
ローラ・モンテス - Wikipedia