新春言いっぱなし(1)
もう、一日つぶやきながら酒飲んでたので、これ以上飲めん。気持ち悪い。140字制限が窮屈になってきたので、改めて行く年来る年、言いっぱなしでやってみますかね。
まず、音楽行く年。ほんとに行く年だった。キヨシロー、マイケル、加藤和彦。フジファブリックはあんまり聞いたことないんで、・・・。でも、死んじゃった人を追悼しても自己満足にしかならないんだよな。自分を慰めるために追悼やっても仕方ないじゃないか、と思う。みんな死んじゃうんだから、今、生きているなら、ライブ見に行かなきゃなあ、生きている今が全てだよ、と強く思う。だから、ディラン見に行くって訳じゃないよ!と、言い訳しつつも、まあ、それも否定できないけど。でも、この人が死んだら悲しいと思うんなら、その人との今を大切にしないと。『孝行したいときに』って、言うじゃないか。親孝行したいなんて、もう思わないけど、ディラン孝行はするよ。
別の意味で『行く年』だったのは、ジョン・フルシャンテのレッチリ脱退だったかなあ。ソロ・アルバムの静謐さに打たれると、レッチリからは遠いところに来てるなあ、両立するのかな、これ、とは思ってたので、驚きは全くないし、後任考えると、復帰したくなったら、いつでも出来るようにしておくと言うことではあるんだと思う。実際、ライブ考えると、大丈夫かなあ、とは思うけど、ただ、これでレッチリ終わるとも思えない。最近のバンドって、別ユニットとか、ソロアルバムとか、なんか、結びつきというか、人間関係緩くなってきてるよなあ、と思うな。その意味じゃ、再結成すると言うことは、解散して、やっぱり仲直りして、という濃い人間関係の証なのかもしれない。欧米も、人間関係のあり方が変わってきてるんだろうな。
あ、眠くなってきたから、今日はこの辺にしようかな。まだ、これは続けられそうだな。Twitterでは書ききれないネタとスタイルにしないと、やる意味ないんだよな。なんか、それが見つからん、と、ちょっと人目も気にして格好いいこと言ってみる。