釣り師は、何故、こんなに簡単に要らないと言えるのか

2009-03-03
 多分、この人の正体はどこかの新聞かマスコミ関係なんじゃないかなと思う。突っ込み処ありまくりのセンセーショナルな書き方がうまい。何故いらないのか、という議論はすっ飛ばして、橋下知事が「大阪府立大なんていらないんでは」と言ったから、そうだ、そうだ、あれもいらない、これもいらない、とリストまで作ってみせる上から目線の尻軽ぶりが、すごく今の日本のマスコミっぽい。おちゃらけはいいけど、こういうところからまともな議論が始まるんだろうか?いらない、いらないで、統合しちゃっても、確かに直接困ったことはなかったけど、何も本質的に良くなっていないし、悪くなる一方、ということが多すぎるような気がする。効率化してもいいんだけど、もっと大事な問題が解決されずにそのままになっている、ということになりそうな気がする。
 少子化は間違いない話だから、学生の数は減る。従って、留学生を劇的に増やさない限り、大学も定員割れになる。規模を縮小すればいいようにも思えるが、一般教養の講師やスタッフの経費がまかなえなくなるので、ある程度の規模が経営的には必要だということになる。だから、大学の統廃合は不可避であるのは間違いないだろう。
 でも、高等教育や大学の研究の質を上げなければ、そもそも大学の存在意義自体が問われるし、国全体の力が落ちる。日本の大学は国際的なランキングで言って、東大が10位以下で最高位という程度にしか評価されていない。その上、明治時代の中央集権的なヒエラルキーが残ったままになっている。これがさらに良くない。
 その結果、どうなっているかというと、東大は自分たちが王道を行かなければいけないと変な責任感を持つ(そんなもの、本当は王道なのかどうかなんて分からないのに)。なので、後追いの研究テーマにしか取り組まなくなる、それで世界一のデータとか、そういう重箱の隅に向かって突進するような研究しかしなくなる。自分の頭で考えて変なことをしなくなる。本当に自分の頭で考えれば、大体変なことになるものなのだが。そこが地方大学を植民地化する。なので、病気が蔓延する。そういうことやっていても、なかなかノーベル賞にはならないのは、当たり前。それでも、科学をやっている理学部系は、最初から世界を相手にしているので、まだマシ。
 これがアメリカだと全然様子が違うことになる。アメリカだと、西海岸ならバークレーか、スタンフォードか、というのは、個人の趣味や興味の問題だ、極論すれば。実際にはいろいろあるだろうけど、優秀な学生には選択肢がある。だから、大学も個性をアピールしなければいけない。そういうものの積み重ねが大学の文化を作るし、学生にも影響するし、独自性のある研究をしなければいけないということになる。そういう選択肢があるという贅沢さがアメリカの強さにもなっている。
 そういう多様性も弱い日本の大学が統廃合をすると、ますます均一化することになる。大体、大きくすると、個性や文化は薄くなる。現実問題として、世界レベルのリサーチ・ユニバーシティを日本が幾つ持てるかと言えば、最低2つ、できれば4つ、というところだろうけれど。でも、理系については、近頃面白い研究というのは、意外に地方の大学が多い。金が無い方が頭を使うんではないだろうか。
 なんにせよ、統廃合したら、駅ビルのレストラン街のようなどこに行っても代わり映えのしない大学ばかりになってしまったというのではしょうがないと思うんだよね。そこで生き残れる大学だけ残ればいいんだろうけれど、なかなかそうも行かないんだろうな。