「誰でもかまわない」 監督:ジャック・ドワイヨン

誰でもかまわない( Le premier venu )
2007年/123分/35mm/カラー
監督:ジャック・ドワイヨン(Jacques Doillon 1944〜)


 今回の映画祭の唯一の新作。これを上映すると言う陰謀も、今回の作品選定者の目的の一つなんだろうな。
 相変わらず、ジャック・ドワイヨンジャック・ドワイヨンだ。いつものことながら、彼の映画は格闘技だ。今日はこれ一本にしておいて良かった。買い物とか雑用済まさなきゃいけないということもあったけど、彼の映画はいつも見ていてヘトヘトになるので、これ一本で良かった。
 冒頭で彼女が刑事と知り合うところとか、もう御都合主義も良いところで、いきなり出会った人にこんな説明調の都合のいい話する訳無いだろう、こういう話の運びはぎこちないといえばぎこちないんだよなあ、と思いつつも、それが、映画の設定の観客への説明と映画の体裁をさっさと整える儀式だというのは分かり切っているので、嫌な気は全くしない。刑事が彼の元妻にまでウソのようなあっけなさで引き合わせてくれれば、セッティングは完成だ。途端にドワイヨンの世界の磁場が働き出す。
 一言で言ってしまえば、ドワイヨンの映画は「愛は戦いだ」ということに尽きる。四角関係が入り乱れ、登場人物は誰もが、わめき叫ぶ、ののしる、言い争う、つかむ、殴る、けっとばす、ひっぱたく。けれど、それが凡庸な怒鳴り芝居になることなど決してない。まるで、彫刻家が鑿で石を削り、ごつごつとした石の出っ張りを切り落とし、微妙な均衡を持った調和を彫り上げるのを見ているかのようだ。
 見終わった後は、こちらもぐったり疲れてしまう。いつも、これは何なのだと思う。自然の石の形が面白いとか言って、庭に並べて愛でたりする日本人には余りに酷だとさえも思いはするのだが、疲れても嫌な気はしないし、むしろ、さわやかな気分になるのだから不思議だ。何なのだろう、あの戦いは。エゴとエゴのぶつかり合いではあっても、持てる力の限りの行使ではあっても、何かを奪おう、何かを我がものにしよう、という種類の所有や欲望に発する暴力ではないのだと思う。あなたは私を理解しなければいけない、私を愛するべきだ、という権利の行使、手段を選ばない説得、とでも言えばいいのだろうか。そんな途方もない要求をする権利が誰にあるというのだろうか。しかし、ドワイヨンの映画の登場人物は誰もそんなことを改めて自分に問うたりすることはない。自らのアクションでその正当性の証を立てようとするだけだ。そんなことで自家撞着をする余裕があるものなど誰もいない。その姿勢の潔さ・厳しさが、彼の映画を別格なものにしているのだと思う。