プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方: 雨宮 処凛

プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y)

プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y)

 読了。大体他の本とも同じような内容だったけど、ポイントは、最後の座談会と石原慎太郎との対談。
 座談会は、息子をフリーターから正社員に就職させたおばさん(61)、大企業勤務の就職勝ち組女性(27)、赤木智弘氏(31)が興味深かった。これまでの時代とは一変した労働環境の世の中に対して、皆少しずつ何かが過剰で何かが不足になっているような気がする。
 おばさん(61)の「大変なのはわかったけど、頑張るしかないじゃないの」的な正論は、いわゆる鬱病患者に一番言ってはいけない種類のことだ。でも、こう言われることで死にたくなったら、本当に生きていけない。
 女性(27)の発言も、勤め人的には理解できるし、自分がここにいたらこう言うだろうなあ、と思う。でも、そのできすぎ感、気遣いの上手すぎさ、自分には出来ないなあ、と感心すると同時に、この人は自己嫌悪を感じたりするのだろうか、それとも、こうしなければ生きていけないわよ!と悩まないのか、多分、これだけうまく対応できると悩んだり割り切ったり揺れるのかな、内面は。気を遣いすぎだけど、自分の本音隠し過ぎなのかも知れない。
 赤木氏は、問題提起、自分の立ち位置からのアピール、ライター的な受け狙いもあるんだろうけど、「高収入女性はフリーターと結婚しろ」とか、ネタ提供しすぎだ(笑)。
 こうした過剰と不足が、今の時代の混乱なのだと思う。その過剰と不足が、この本の面白さと異論のもとになるのだろう。でも、それはひょっとして、甘くないか?企業側はもっと必死に余裕すら無く責めてきてるんじゃないか?というのは、この本を読んでいるとちらっと思ったりもする。現実にはそれどこではないんだろうけど。
 最後の石原慎太郎との対談、よくやったな。男的には、あいつは敵だから口も聞きたくはない、と言う党派的論理に陥るのだけど、「じゃあ、話してみましょう」となるのが、女性の偉いところだ。でも、これ読んでいると、20年前のピースボートとかやっていた頃の辻元清美思い出しちゃうんだよね。しなやかとか余裕も良いけど、敵の側はしなやかさも余裕も持たずにガチで来るよ。怖いよ。
 その辺の過剰と不足、気になった。
http://wiredvision.jp/news/200809/2008090921.html
 たまたま目についたけど、何のために働くのか?国家とは何か?もう全てのことの意味が全世界的に遷っている。では、何を信じる?と、問うてみることしか出来ねーよ。