フランス映画の秘宝「罪の天使たち」ロベール・ブレッソン@有楽町朝日ホール

罪の天使たち(1943、96分)
LES ANGES DU PECHE
監督: ロベール・ブレッソン
製作: ロジェ・リシュベ
脚本: ロベール・ブレッソンジャン・ジロドゥ
撮影: フィリップ・アゴスティーニ
音楽: ジャン=ジャック・グリューネンヴァルト
ブルジョワの娘アンヌ=マリーは、自らドミニコ会修道院に入り、修道女になる。その修道院は、刑務所で服役を終えた女性たちをも受け入れていた。アンヌ=マリーは、刑務所で出会ったテレーズという反抗的な若い受刑者に関心を抱き、出所後は修道院に来るように誘う。罪と魂の救済というブレッソンならではの題材が扱われている長編第1作。

asahi.com : 朝日新聞社 - フランス映画の秘宝〜シネマテーク・フランセーズのコレクションを中心に〜

 厳しい。ただ、もう、厳しい。これもなかなか見る機会の無かった映画で、今回の特集上映はそういう名前だけ知っているような映画がたくさんある。今週は、これしか見ることできなかったので、来週の三連休はこの特集上映に通って潰れるのか。ここのところ、週末遊び歩くのに忙しくて、なかなかいろいろな片付けものや雑用が進まない。PCも大分機嫌が悪くなってきているので、新しいPC立ち上げたいんだけど、まず、部屋の整理をしないと、そんなことできない状況で半年近く箱から出してない。XPが普通に購入できるうちにと思って、Dellから買ったんだけど、箱入りのまま・・・。始めると、とんでもなく時間がかかりそうなので、ほったらかしのまま夏になってしまい、暑い時期のPC回りの作業はやる気がしなくてここまで来てしまった。暖房器具が必要になる前に何とかしないと。いっそ、引っ越しでもしようかなあ・・・。
 何もかも厳しいが、ブレッソンはとにかく厳しい(やっと最初に戻った)。何が厳しいのかといえば、ブレッソンというよりカトリックは厳しい、その厳しさがそのまま彼の厳しさになっている。彼の映画をいくら見て、いくら彼の映画に感動しても、結局、キリスト教とではない私には最終的に理解できないだろうな、とまざまざと思わされる。そのくらい厳しい。ドライヤーも厳しいが、彼の映画は恩寵はあっても、ここまで罪を厳しく描いて問い詰めるところはないのではないか。ベルイマンだって、ここまで厳しくない。生きているということをもう少し素直に肯定している。ブレッソンは、「生きるということは罪を犯すことだ」というところから始まっているようなところがある。そういうところから話を始めるのだから、決して厭世的であったりニヒリズムに陥ることもないのだが、そこから決して目をそらそうとはしない。その厳しさにこちらも姿勢を質される。そういう厳しさである。
 これが長編第1作というのは、それにしても驚きではあるが、処女作とはそういうものでもある。完全な無駄のない構図、虚飾を排し押さえられた演出、無駄な音楽もなく静粛な静けさ、まごうことのないブレッソンの映画。これまで見ることができたもっとも古いブレッソンの映画は『ブーローニュの森の貴婦人たち』だったけど、正直、あれを見たときは『スリ』や『バルタザールどこへ行く』 、『ラルジャン』 なんかとのつながりが見えなかった。これが処女作というのは納得がいく。二作目は、一応迷いだったのだと思う。ブレッソンの迷いとか日和というのも想像できないような話だが、そう考えた方が自分的にはスッキリする。と言うほど、これはブレッソンで、ブレッソンの処女作というのにふさわしい。

 これを書きながら検索していて見つけたけど、1983年のカンヌ映画祭。この年の監督賞はロベール・ブレッソンの「ラルジャン」とアンドレイ・タルコフスキーの「ノスタルジア」に与えられた。そう聞くとすごく不思議な気がする。事実は、ロベール・ブレッソンの「ラルジャン」とアンドレイ・タルコフスキーの「ノスタルジア」に監督賞を与える栄誉を1983年のカンヌ映画祭は与えられた、ということでしか有り得ない訳なんだけど。
 と書いて嫌な予感がして調べてみると、1983年のパルム・ドール今村昌平の「楢山節考」(笑)。外交官は25年後に開示される外交文書によって歴史に裁かれるそうだけど、映画祭というのも作品によって後世に裁かれるものなのだと思う。賞って、そういうもんだ。
 そういえば、前の時間帯でドワイヨンと座談会やっていたハスミン、久しぶりに見かけたな。相変わらず意味無くでかかった。