悲しみは空の彼方に 監督ダグラス・サーク

悲しみは空の彼方に(1959)
IMITATION OF LIFE 124分
製作国 アメリ
監督: ダグラス・サーク
出演: ラナ・ターナー
サンドラ・ディー
ファニタ・ムーア
スーザン・コーナー
ジョン・ギャヴィン


 ぴあ・フィルム・フェスティバルの特別上映を見に行く。最近、映画関係の情報ちゃんとチェックしていなかったんで、チケット抑えていなかった。当日券、手に入るかなあ、と不安だったけど、とにかく行く。5時頃着いたら、6時半からの回はキャンセル待ちだと言われる。キャンセル待ちの番号券をもらう。11番。これでは入れなかったら腹立つだろうなあ、と思いつつ、まあ、整理券配るんだから何とかなるだろう、と腹を括る。
 受付が始まるまで宮益坂マクドナルドへ。今日はPSPまで持ってきた。そう、無線LAN。もう無線LANにつなげること自体が目的みたいだ。ユーザー名の後にワイヤレスゲートは@wigというのをつけなきゃいけないんだけど、それを最初飛ばして焦ったけど、そこをクリアしたらすいすいとつながった。ただ、PSPの文字入力がすごくめんどくさい。携帯っぽいんだけど、なかなか慣れなくてすごくうっとおしかった。DVDレコーダーの文字入力並の苦痛。確か、PSP用のキーボードというのもあったような気がするが、そこまでする気もしない。まあ、とにかくつながったんで、[あとで読む]のタグをつけておいたはてなブックマークをバリバリ読む。画面も大きいし、フォントもきれいなので、一度つないでしまえば、結構快適。ただ、ページ送りが中途半端な進み方で、いらいらする。まあ、これするためにPSP持ち歩くか?と言えば、NOだな。でも、iPhoneもほんとはこんな感じではてブやアンテナとか2ちゃんを暇つぶしに読むために使うROMツールだと思うけどな。間違っても、スーパーで料理のレシピ検索とか、分からないことをその場で調べたりするために使わないって言うの。レシピが出てくるようなユースケースに説得力なしは、もはや格言。ファイルを読み込むまでスピリッツ読んで、連載一つ読み終わると今度はまた一つサイト読んで。なんか、暇つぶしジャンキーだな。こんなことやってると暇がいくらあっても足りない。ほんとに閑人だなあ。

 で、上映5分くらい前に行ったら、整理券もらった人のうち7割くらいしか残っていない。ちゃんと入れた、良かった、良かった。
 これは、多分20年ぶりくらいで見たことになる。最後の葬儀のゴスペルのシーンとか、人種差別がらみの話のとことか、まあ、さすがにそういうとこは覚えていたけど、細かいところはだんだん見ているうちに、復元されてくる感じ。ちょうど良い感じで忘れていた。
 とにかくフィルムが綺麗でぶったまげた。20年前に見たのより全然綺麗だと思う。多分、アテネフランセで見たんだと思うけど、今回は日本語字幕もついてるし。上映前に今回の上映の責任者の方が今回の特集上映のフィルム状態についてコメントしていた。今日上映があった4本はすべて美品だそうだ。他のフィルムは状態の悪いものも混じっているらしいが、1本しかないとか、フィルム自体が貴重なので文句は言えないかなあと思う。何でも、直前にユニバーサルスタジオで火事があって、貸出用のフィルムが焼けてしまいニュープリントを作ったものもあるらしい。ダグラス・サークのニュープリントなんてそうそう拝めるものではないので、ツべコベ言わずに見られるだけ見といた方が良いんだろうな。今回はこれしか見ることできないけど。
 それにしても、大人のメロドラマだよなあ。10年ぶりに再会する恋人なんて、もう今の時代では設定できない。それと、至る所にあるどうしようもない苦さが胸に迫る。その一方で、レコードを避けてステップするところとか、さりげなく洗練されたシーンもあったりして、溜息が出る。ただ、ハーフであることがばれて殴られるシーンなんかの音楽は、えっ、こんなだっけ?という感じで驚いた。あそこと最後のゴスペルは音楽の使い方としてすごくインパクトあるなあ。

ダグラス・サーク コレクション 2 (初回限定生産) [DVD]

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 おばさんだけど、このラナ・ターナーがすごい。子供を連れてニューヨークに出てきて女優を目指すという野心的な女を見事に演じている。クリスマスに結婚を申し込まれても、ちょうどかかってきた電話で男や家庭より夢と野心を取るところとか、もうどきどきする。男が精いっぱい持てるものすべてをかけても、チャンスに向かって雪の中へ走り出していくところなんか、この女の強さに圧倒される。そして、最初にエージェントと話したときには激怒していながら、いざチャンスを掴むと脚本家に身を任せてしまうあたりも、まあ、そんなもんだよなあ、と思いつつも、これが大人の女のすごさだなあ、としみじみ思う。弱さと言えば言えてしまうが、したたかとか打算という気がしないのが、ラナ・ターナーの品格。
 この辺までの前半も良いのだけど、彼女が成功してからの後半が圧巻。その10年のときの経過を示す、1950,1951、というあのカウントダウンのところもすばらしい。まるで映画みたいだ、と映画に向かって呟きたくなる。
 後半は彼女が成功した後の話なのだけど、ここでもラナ・ターナーの貫録が圧巻。そこに、前半でも、黒人のお人形は嫌、というメイドの娘の話が大きく広がってくる。
 このラナ・ターナーの役、日本だったら高峰秀子で、女4人の家庭というのは成瀬あたりの題材かなあ。そこに、あの黒人のメイドと娘の葛藤の話が入ってくると、そこは溝口的な題材で、あの黒人のお母さんが田中絹代なんだよな。

 それにしても、この"Imitation of Life"という原題が素晴らしい。恋も家庭も後回しにしてラナ・ターナーが追いかけるショー・ビジネスの世界も、ハーフであることを隠して母親を見捨ててまでダンサーとなる娘が夢見る白人としての人生も、所詮は正にイミテーション・オブ・ライフ。でも、夢をあきらめるな、なんて言っておきながら写真家として夢を追及することをあきらめたジョン・ギャヴィンの人生も、やはり、イミテーション・オブ・ライフなのかもしれない。でも、それを言えば、すべての夢や希望を実現できる人など世の中にはいないわけで、ほとんどの人間の人生はイミテーション・オブ・ライフなのかもしれないよなあ、と思わざるを得ないわけで、これはものすごくペシミスティックなタイトルだよなあ。これがダグラス・サークの遺作になってしまう訳だけど、そう考えると、ますますダウナーな気分に誘われる。

 タイトルつながりでおまけ。これも全然関係ないけど、良い曲。