グーグルでシャコになる?

「1つ考えられるのは、感覚器が複雑になるほど、脳は単純で済むということだ」とCronin氏は話す。「受容体レベルで分析ができれば、脳で処理する必要がなくなる」

http://wiredvision.jp/news/200804/2008040123.html
 これを読んで思ったのは、まさにこれはニューラルネット・コンピューティングそのものだな、ということだ。従来のノイマン型のコンピューターは、それこそ紙テープの時代以来逐次的に一つ一つの処理を繰り返していくしかないんだけど、ニューラルネットの考え方では、莫大な画像のようなデータを並列的に処理することで、画像認識など従来のコンピューターでは不可能な処理を高速で実現しようとする。
 まあ、ニューラルなんて時代遅れの概念になってしまっているのかも知れないけど。実際、そういうことを普通にPCでこなせちゃう時代になった訳だし。

インターネットで、かつて一部の人にしか入手できなかった情報が多くの人に共有されるようになったことは、大きな進歩だ。しかし記事がページカウントで序列化されると、ジャーナリズムが軽視され、新聞社は海外支局を縮小している。メディアがデータベース化すると、深い思想や芸術は表現しにくくなる。それは「コンピュータに知能をもたせて人間に近づける」というグーグルの理想とは逆に、人間の知能を平板化してコンピュータに近づけるかもしれない。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b56745c8f68e8f3498f4d7577de845bf
 平板化するのかも知れないが、今までは点とか線の0次元、1次元だったものが2次元くらいにはなるのかも知れない。技術の進歩で人間は進歩する、とお気楽な楽観論を唱える気もしないが、これだけの技術的な環境の変化を受けているのだから、人間の思考のあり方や思想が変化しても当然だと思う。
 いずれにしても、動物的な情報処理と人間の思考という二つのレベルの間には大きなギャップがあって、そこが知能とは何か?という永遠の問題の根幹なのだと思う。