アキハバラ・テロリズム(1)

 日曜日の秋葉原の通り魔殺人事件については、いろいろなところでいろいろな切り口で論調されている。少し、思ったことを書いてみる。こうして書くこと自体、ある意味犯人の思う壺だから、嫌な感じはあるが。
 まず、第一に直接的なきっかけが、雇用の不安だということ。トヨタの下請けで派遣社員として働いていたが、人員削減の対象となるのでは、という不安が犯人にはあった。彼は対象には含まれていなかった、と会社側は言っているが、実際どうだったのかは分からないし、実際どうだったかというよりも不安定な雇用形態自体が問題だと思う。最近の経団連の会長はトヨタ、キャノンと製造業からの会長が続いているが、小泉改革以降の規制緩和で雇用に関しては、企業側が派遣社員の形でいくらでも首を切れるようになってしまった。だから、人を殺して良い、などという話になるわけではないが、そういうことをしかねない人間に最後の一線を超えるように背中を押すきっかけにはなったのではないか。そして、そういう一線の近傍にいる潜在的な犯罪者は彼一人だけではないだろうし、こういうことはこれからも起こって不思議はないだろう。
 第二に、犯行の計画性とインターネットや携帯電話のかかわり方だ。携帯電話の掲示板への書き込みも、半ばは誰かに止めてほしいという気もあったのかもしれないし、犯行を予告しているというスリルもあったのだろう。まるで、自分で自分のシナリオを書いているようだが、そのシナリオに飲み込まれてしまったような感じかもしれない。2日間かけて周到かつ迅速に準備を進めた人間に責任能力がなかったとは言えないだろう。そして、掲示板に書かれていたという内容を見ると、2日間の間、ぶれたり悩んだりしていないように見える。キレて一瞬で怒りを爆発させて終わるのではなく、不特定多数への殺意と衝動に一貫して突き動かされていたことが分かる。
 ダガーナイフを福井まで買いに行くのもネットで調べたのではないか。こういう殺傷能力の高い武器の販売を規制するといっても、それは限界があるとは思う。
 では、インターネットや携帯電話に規制をかければ、こうした犯罪がなくなるか?未然に防げるか?といえば、それも無理がある。大体、携帯電話向け掲示板に犯行を予告してくれていたのに、阻止できなかったのだから。と言う話になると、警察がネット捜査用の検索エンジンを開発するとか、既存の検索エンジンを影で使わせてもらうとか、なんだかどう悪用されるか分からないような話になりそうで、これも嫌な感じがする。一度性悪説に立てば、際限なくすべてを疑わなければいけないことになる。
 いずれにしても、ここまでインフラとして定着してしまえば、それは前提の環境、所与の条件と考えるべきだし、そう考えるしかない。極端なことを言えば、世の中の犯罪を毎日報道しているメディアは、犯罪者の予備軍から見れば、仲間の活動報告や犯罪の手口の紹介をしてくれているように思えるかもしれないのだ。ことさらこういう情報入手手段をとやかく言うのは、半ば、既存の新聞やメディアの反デジタル・キャンペーンの一環ではないのだろうか。
 ただ、ナイフが規制もなく容易に入手できること、インターネットや携帯電話で簡単に犯罪の実行に必要な情報が手に入ることは、犯罪の遂行を2日間で行う上で敷居を大幅に下げただろう。交通事故で死ぬ人がいるから車を禁止するべきだ、というよりも、説得力がない話だと思う。
 第三に秋葉原という地場を巡る議論。
 第四にオタクの犯行という議論。
 また、後でこの辺は書こうと思う。
 ただ、それより何より考えてしまうのは、生きているのが嫌になったから自殺しよう、と考える人と、生きているのが嫌になったから誰でも良いから人を殺してしたい、と考える人の違いはどこにあるのだろう?ということだ。トラックで人混みに突っ込むというやり方は、パレスチナ・ゲリラのイスラエルにおける自爆テロを思い出させる。だが、彼は自爆せずに、他人を殺しただけだった。
 誰でも良いから大勢の人を殺したい、という衝動。衝動で行った行為と確信的な決意で行った行為は明確に区別できるだろうか。彼が行ったことは、今の日本の社会に対するテロと言うには、あまりに衝動的な気はする。しかし、衝動に突き動かされての犯行であり、それは個人の欠陥によるものだとしても、これをテロリズムと捉えるべきだろうか。

はてブなどで目についた記事のまとめ。
秋葉原通り魔 事件発生現場の様子 : アキバBlog
テクノロジー : 日経電子版
Red Fox 秋葉原の無差別殺傷事件、英米ではどう見られているか 英タイムズ紙の読者コメント
http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080609/1212966011
http://gunnyori.net/2008/06/69.html