イタリア映画祭(1)

5月1日(木)
12:00 E 『対角に土星
2007年/110分 監督:フェルザン・オズペテク(Ferzan Ozpetek)
15:00 a 『たまご』
F 『考えてもムダさ』
2007年/105分 監督:ジャンニ・ザナージ(Gianni Zanasi)
18:00 I 『まなざしの長さをはかって』
2007年/108分 監督:カルロ・マッツァクラーティ(Carlo Mazzacurati)

 今日は元気に三本。今年もパスタ貰いました。明日も貰おうと思っています。そんなに家でパスタ作らないので、これで半年は毎年持っています。申し訳ないので、買える時はいつもBarillaを律義に買っています。。。
 それにしても、こうして毎年まとめて見ていると、それなりに今のイタリア映画の特徴みたいなものが見えてきて、面白い。良くも悪くも分かりにくいというか、話が読めない。突然、人が病気になったり、殺されたり、出生の秘密が明らかになったり。まあ、人生、そんなものだよね、と言いかけたが、そんな目にあったことはない。なのに、そううっかり言ってしまいそうになるのが、今のイタリア映画の魅力だろうか。なんにせよ、エッセイ的なスタイルで、どれも自由で個性のある映画だなあ、と思う。
 そう考えると、アントニオーニの影響というのが、やっぱりすごくあるんだろうな。その辺りは、日本での評価と微妙に温度差があるような気がする。こむずかしい時代遅れの巨匠的な雰囲気が、やっぱりアントニオーニに関してはあるような気がする。ロッセリーニ的な直接性とか運動的なところもない訳じゃないけど、全体通してみると、やっぱりアントニオーニ的な偶然性とか静物的なトーンが多いんじゃないだろうか。まあ、人とか地域にもよるんだろうけど。
 『対角に土星』はゲイのカップルを中心にした群像劇で、クモ膜下出血で倒れてしまうところまでは、アメリカのテレビドラマをイタリア流にするとこんな感じなのかなあ、と思って見てた。ベッドで横たわっているところは一切見せないのに、死んだときと幻影はしっかり見せるんだな。まあ、ベッドの上で動けないところ見せると、ありきたりで何にも面白くないんだけど、見ている側にしていると、分かりにくいというか、唐突感はある。面白いし、幻影のインパクトは強くなる。でも、いわゆる普通のアメリカ映画だと、こういう技はまずやらないだろうな。話の流れ重視だから。この辺から、久しぶりにヨーロッパの映画見ているなあ、という気分になってくる。

 短編の 『たまご』は一発芸だけど、無響室なんて、どれだけの人が分かるのかな?まあ、ずいぶん、マニアックで業界ネタっぽいオチだけど、そうきたか?という感じは十分にあった。
  『考えてもムダさ』は、ローマのパンクバンドのギタリストが女を寝取られて、実家に帰ったら、家中メチャクチャで、という話。冒頭、彼のバンドのボーカルがダイブしたら、ファンがみんなよけて腕骨折、というのが、思い切り笑えた。こういう笑いを取らせると、やはりイタリアは上手い。

 開会式は手短で良かったです(本音)。


 『まなざしの長さをはかって』は、なかなかの傑作。新鮮な感じがありながらも苦い。女優さんが舞台あいさつに来ていたけど、グラマラスで、身ぶりが大きくて、良くしゃべる。つまり、イタリア女らしいイタリア女。やっぱり、実物見ると、本当に美人だなあ。移民という社会問題を背景としながらも、記者の卵という視点を入れることで、ストーリーが三次元的な広がりを見せるし、社会問題と第三者の関わり方という問題が描かれるのが面白いところ。こういうイタリアの田舎良いねえ。毎年、こういうの見ると、来年は映画見てないで、イタリア行こう、と思う。でも、旅行面度くさくて、毎年ここで映画祭見ているんだよなあ。