モディリアーニ展@国立新美術館


http://www.modi2008.jp/html/index.html
 フレックス休暇を取って、今日は一日遊んだ。平日はやはりどこに行っても空いている。天気は悪かったが、あんまり良い天気だとなんだか後ろめたい気分がしないでもないのでちょうどいい。今日は野外でもないし。はー、命の洗濯だなあ。
 モディリアーニはもともとアフリカのプリミティブなアートに興味があったらしい。その影響を受けた作風で抽象芸術と原始的な世界の芸術を彫刻として作ることを夢見ていたんだそうだ。その初期のスケッチや作品から展示会は始まる。
 その習作群を見ていて気がついたんだけど、これってウルトラマンじゃないですか。そう思ってみると、モディリアーニの人物の顔をはみんなウルトラマンのようだ。アーモンド型で瞳も白目も塗りつぶされたあの目は、ウルトラっぽいなー。お絵かき機能始めて使って描いてみました。ウルトラマンモディリアーニです(なんか、ホントにいそうな気がする?しないか)。

 何で、モディリアーニの人物画って、あんなに首が長いんだろう?とずっと思っていたんだけど、どうも、アフリカの古美術にルーツがあるみたいだ。それから、彼の絵はやたら縦方向に引き延ばされた絵なんだけど、そのアフリカ風の絵を描いていた頃のデッサンは、ゴム鞠を繋げたみたいなデッサンばかりなんだな。そのころは彫刻をやろうとしていたみたいだけど。
 多分、そうしたアフリカのプリミティブ・アートはあんまり表情とか個性みたいなものはあんまり描かれていないのだと思うけど、モディリアーニの人物像はその人物が見事に表現されているのが凄い。単純な線と顔の造作の配置で見事に人物像がそこに浮かび上がってくる。
 その顔以外はほとんど抽象的とも言えるくらい単純でありながら、生き生きと色彩が支配する領域になっている。顔とそれ以外の対比を強調するためにあんなに首が伸びてしまうのだろうか。
 裸婦像もあったけど、こちらは力点が肉体の官能的な描写にあって、人物像とは全然違う。こっちは顔よりも体なのだ。一目見て、彼が書きたかったものがまっすぐに飛び込んでくる。人物像でも、恋人を書いたものは一発で分かってしまった。あ、これって?と思って、パネル見るとそうなんで、なんだかうれしくなってくる。なんてストレートで情熱的な人なんだろう。
 自分の中でのモディリアーニのイメージというと、ジャック・ベッケル監督でジェラール・フィリップが演じた「モンパルナスの灯」の飲んだくれなんだよなあ。あー、久しぶりに見たい!!廉価版のビデオがどこかにあるはずだから、久しぶりにビデオ繋いで見たいなあ。
 展示会場出たところは売店になっているんだけど、充実しすぎだろう、あれは。何であんこジャムまで売っているのか?クリアファイルとか、グッズ作りすぎだな。なんだか興ざめ感もってしまうんだが。貧乏で30代半ばで病死、残された妻は7ヶ月の子供を宿しなが小さな娘を残して夫の死後数日後に投身自殺、というパリの貧乏画家の伝説的悲劇も消費のネタですか。。。




 国立新美術館は、中はまるで東京国際フォーラム(ホールの反対側の方)そっくり。最寄駅の乃木坂からは、出口(確か6番出口)が直通になっていて、出るとチケット売り場で超便利。常設展示は持たずに企画展だけで運用するらしい。そういうところもあって、あんまり美術館ぽくない。建築自体もどこから見ればいいのか、良く分からない。別に、あれなら文化村でもなんでも良い訳で、箱物行政も良いところでは。そんな金あるんなら、もっとましな使い方あるだろうに。運慶買えなかったくせに、こんなもの作るのっていかがなものか。