沖縄旅行まとめ(3):観光

 那覇市内で観光というと、首里城だろう。修学旅行的だが、南部の戦蹟もビギナー的には外せないだろうし。午前中に首里城をさっさと回って、13時くらいからの南部ツアーに参加するというのが、まあ、1日コースとしてはいいんでしょう。でも、午前中たらたらやっていたので、バスでひめゆりの塔までたどり着くのがやっとだった。





 首里城は起伏に富んでいる。那覇の高台でここに来ると市内が一望に見渡せる。やっぱり、一度は行く価値がある。至る所にシーサーがいて、段々物珍しさを感じなくなってくるくらいだ。やはり、お城だけあって、何重にも塀がめぐらされているし、攻めにくい構造なのだろうな。起伏と石畳の変化が美しい。

 王宮前の広場は、きれいに縞がついていて、美しい。これは儀式の際の整列で使われたようだ。こういう儀式の様式をめぐっても、やはり、官僚の間ではいろいろなドラマがあったのだろうな。

 北側の棟は展示室で、靴を脱いで上がる。この辺は写真撮影禁止。写真のあたりから撮影可能で、ここは琉球王の執務エリアになっていたらしい。



 中央のエリアはお妃の生活エリア。1階は天井が低いが、2階は天井も大分高い。中国から授けられた書や印、王冠が展示されている。失われた印というのもあるそうだけど、ミステリーだなあ。これを見ると、当時は東アジアの中心はやはり中国で、中国に臣下と認められることで、国家としての正当性が承認されていたことが良く分かる。また、その一方で、琉球王朝の代が変わるときには、江戸上がりと言って、幕府にそれを伝える使者が送られていた。バランス・オブ・パワーの中でこの島は生きてきたのだということが良く分かる。その後、日本、アメリカ、そして、また日本と目まぐるしく当事者が入れ替わってきたのが、20世紀の沖縄だったのだなあ。このエリアは撮影可能。




 南側は、お役所エリア。当時の官僚は9時出勤、3時退勤で、残業するには、王様の許可が必要だったそうだ。うらやましいことよのう。儀式の様子を再現したミニチュアの展示が楽しい。こういうのは写真撮るのがほんと楽しい。ここには売店もある。沖縄サミットのパネルもある。ここで開かれた晩餐会のメニューについつい見入ってしまう。サミット参加八カ国の赤ワインを調合したというワインも出されたようだが、そんなものを作って不味かったなどと言われたらどうする積もりだったのだろう(笑)?メニューを考える人も、料理をする人も大変だったろうなあ。国際政治の道具にされかねん。こんなグルメの極みみたいなもの食べてたのに、森喜朗ミモレット・チーズを本当にひからびたチーズだと思ったのだろうか、という気もするが、そういう小道具を演出の道具にする知恵があるとも思えないので、やはり、そう思ったんだろう。。。ミミガーとか、海ぶどうとか、豆腐よう、島らっきょう、紅芋、石垣牛さんぴん茶のシャーベット、ウコン、泡盛など、地元の名産品づくしのメニューだったようである。
 首里城の色遣いやいろいろな装飾にしても明らかに中国的なものが南国的な鮮やかさでアレンジされている。決して本土の同時代では見いだせないようなもので、ここは確かに違う国だったのだなあと思う。




 ひめゆりの塔はビデオで30分弱くらい生存者の方の話を見た。この話の後に展示物を見たり、亡くなられた方々全員の写真を見るとあまりに痛ましい。もちろん、第二次大戦全体ではもっと大勢の人がなくなっているが、数の問題ではなく、喜び笑いあって暮らすこともできたはずの一人一人の姿が立ち上がってくる展示を見ていると、戦争の悲惨さというのはどういうことなのか、が迫ってくる。生存者が体験を語るまでに必要だった時間が、ことの重さを示している。海岸の絶壁で手榴弾で自殺した先生や友達の話など、凄絶だった。青い空と海に囲まれ、南国の明るい光の下で、そんな形で死んでいった人々がいたのだと思うと、悲しい。シベリアや満州で死んでも、一人の人の命は一人の人の命だが、南国の死にはまた別の哀しさがある。
 この周辺の土地は地元の篤志家が「ひめゆりの塔を商売の道具にされないように」と買い上げて寄付したものだそうだ。現在は、外には休息所や土産物屋が幾つも並んでいる。まあ、売店もなければ不便だし、周囲を見ても観光以外に余り産業はありそうにもない。観光は依然として沖縄の主要な産業だ。複雑な気分になった。なので、何も買わなかったのだが、あそこにあった叶野姉妹御用達のダイエット茶は買っておけば良かったかな、と後悔していたりもする。。。