旅と俳句
荷物片付けたり、買い物したり、おせちに煮物作ったり、ボケっとしているうちに年があけた。あんまり時間がたたないうちにと思い、写真を整理して、アップして見た。
FUJIFILM デジタルカメラ FinePix (ファインピクス) F50fd シルバー 1200万画素 光学3倍ズーム FX-F50FD
- 出版社/メーカー: 富士フイルム
- 発売日: 2007/08/31
- メディア: Camera
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とは言っても、アップロードした写真は軽くするために、320×240でweb用で圧縮してるし、殆どプリントもしないから、画素数上げて撮っても意味ないんだよな。ただ、コンパクトタイブではズームとか画角とか自由にできないので、構図的には限界あるなあ、と思うようになった。やっぱり、旅行のときは一眼欲しくなるなあ。
その場で書いたものにはあんまり手を加えたくないので、写真をつけただけだけ。後で、旅行のことはまとめて書こうかと思う。その作業をしながら思ったのだけど、良くある旅行記の類って、後から随分手を入れているんだろうなあ、ということ。文章としては当然そうするべきだけど、それはその場の雰囲気をそのまま保存する、というよりは、再構成することになるのだと思う。再構成されたものの方が生のものよりも伝えたいことをより良く伝えられるのは確かだが、それはその場のドキュメンタリーから外れてくる。その意味では、写真というのはやはりすごいと思う。もちろん、写真にだって、主観や画像処理などの後からの加工はあるにしても。ただ、その場で思ったことや考えたことを写す写真なんて、そうそう取れるものではない。
そう考えると、長い文章ではなく、俳句とか短歌というのは、その場で作るにはいい形式なのかもしれない。もちろん、奥の細道やらなんやらは、当然、後から苦吟しているだろう。でも、その場で言った「うわー、すげー」と、後から書いた「うわー、すげー」は違うような気がする。そう考えると、今の携帯とかモバイルの文化というのは、俳句とか短歌みたいな短い形式と親和性が高いのかもしれない。経験をその場で言葉にして記録するためのモバイルなメディア/文学。俳句とか短歌を詠んでアップしながら旅行するというのも楽しいかもしれない。とは言っても、それなりに習練しないと、575にできないかなあ。なんでも575にするというのも、駄洒落連発のおやじギャグみたいではあるが。はてなハイクなんかもそうだけど、こういうリアルタイム性のあるコミュニケーションのおもしろさや将来性って、ユーザーの使いこなし含めて、まだまだこれからというところだと思うけれど、これってお役所関係でユビキタスとか言っている方々にはどこまで見えているんだろうか。老人介護とか見守りサービスみたいなものもそれはそれで必要だけれど、そういう絶対必要な(んだろうか?説明が簡単なだけかもしれない)「いつでもどこでも」だけでなく、別になくても困らないけれど嵌ると抜けられない「いつでもどこでも」というのも考えなければいけないことかなと思う。