マイルス・デイビス自叙伝(2)

マイルス・デイビス自叙伝〈2〉 (宝島社文庫)

マイルス・デイビス自叙伝〈2〉 (宝島社文庫)

 下巻読了。下巻からはエレクトリックマイルスの時代になってくる。とにかく、もう薬漬け。奥さんに暴力ふるうし、70年代後半にはもう半ば引退状態でトランペットを何年も手にしない状態が続く。もう、どん底というか、読んでいても、あまりに暗くて鬱々とした気分になってくる。その鬱々がさすがにスケールが違って、ついつい引きずり込まれてしまう。
 出てくる周囲のミュージシャンも、どんどんジャズから離れてくる。ジミ・ヘンドリックススライ・ストーンジェームス・ブラウン、プリンス。ジャズという一ジャンルの音楽ではなく、ブラック・ミュージックというより大きな流れの中を、彼は捉えていたのだと言うことが良く分かった。それにしても、マイルスの女房を寝取るって、凄すぎるよ、ジミヘン。後1ヶ月ジミヘンが生きていたら、マイルスとジミヘンが一緒にレコードを作っていたというのは知らなかった。もし、そんなものが作られていたら、そこで20世紀の音楽は終わっていたかもしれない。それ以上のものなんて、誰にも作れなかったんじゃないだろうか、という気がする。
 マイルス・デイビスに関しては、「スケッチ・オブ・スペイン」とか「ビッチズ・ヴリュー」とか「クールの誕生」だとか、まあ、それなりにその時期の代表作くらいは大学生の頃に聞いているけど、そんなに熱を上げて聞いたことはないし、どちらかというと苦手だった。あのクールさというのが無限に広がっている孤独みたいで、怖かったのだ。その直感というのは、正しかったのかなと思う。こうして自伝で彼の人生を知ると、彼の音楽の中に現れていたのは、確かに彼の孤独というか孤高の姿勢みたいなものなんだと思う。そんな気持ちにさせられる音楽には、まだ他に私は出会ったことはない。
 彼は「俺にとって、音楽はスタイルが全てだ」という。つまり、いかに新しいスタイルの音楽を生み出すか。それが彼の興味だった。だから、彼は昔と同じことを繰り返しているジャズ・ミュージシャンから離れて、ロック・ミュージシャンに近づいていく。そういう意味では、確かに、60年代以降の黒人音楽のスタイルの変革者といえば、ジミ・ヘンドリックススライ・ストーンジェームス・ブラウン、プリンスだ。白人は黒人の音楽を耳障り良くしただけで、何も新しいものなど生み出していないと言うのは正しいと思う。実際、それだけで、ローリング・ストーンズはここまでやってきた訳だし。
 じゃあ、スティービー・ワンダーマービン・ゲイポール・マッカートニーはなんなんだよ?ということになる。それはちょうど科学と技術の違いのような気がする。相対性理論を考えたり、DNAを発見するような、そういう科学者のようなミュージシャンがいる。マイルスが名前を上げたミュージシャンはちょうどそういうミュージシャンだ。それに対して、その自然科学の理論を用いて、ジェット飛行機を作ったり、新しい物質を作ったりするような天才的な発明家・技術者がいる。スティービー・ワンダーマービン・ゲイポール・マッカートニーというのは、そういう人たちなんじゃないだろうか。音楽のスタイルを新しく生み出す科学者のような、マイルスのような音楽家。誰にも書けないような素晴らしい曲を作品として作り上げる発明家のような、ポール・マッカートニーのような音楽家。そう考えると、何となく納得できるかな。