マイルス・デイビス自叙伝〈1〉

マイルス・デイビス自叙伝〈1〉 (宝島社文庫)

マイルス・デイビス自叙伝〈1〉 (宝島社文庫)

 上巻読了。めちゃくちゃ面白い。欧米ではこういう自伝が一つのジャンルになっていて、本屋に行くと山のようにあるし、これがまた分厚い。レベルも高い。ある程度の年齢になったら、こういうクラスの人がこういう一次資料を残しておくことは、歴史的な意義があるし、文化的な義務ではないだろうか。
 ジェームス・ブラウンの自伝もたまらなかったけど、このマイルスの自伝もそれ以上にすごい。強烈な彼の自我がまざまざと伝わってくる。生い立ちからニューヨークへ出てきて、あっという間に名声を獲得し、バードやディズら巨星ともいうべきミュージシャンとの交友、自分のグループを結成し、薬物中毒との戦い、女性関係まですべてが驚くほど赤裸々に語られる。
 マイルスに関しては、有名な伝説が山ほど当然あるわけだけど、そうした話についても彼の口から率直に語られている。セロニアス・モンクに「俺のバックでピアノを弾くな」と言ったという有名な話というのも、純粋に音楽的な話だと彼は言っている。こんな話は確かめるすべもないし、当人の言い訳かもしれない。だが、彼はそうした世の中で囁かれるような話に対しても毅然と引く構えはない。むしろ、その態度が帝王とか傲慢とも言われたのだろう。そして、その強い意思が彼をマイルス・デイビスにしたことがひしひしと伝わってくる。
 それにしても、ここに出てくるニューヨークのミュージシャンの人間関係の濃密さには驚かされる。この当時の最高のジャズミュージシャンはみなニューヨークにいたが、彼らが毎晩のように一緒に演奏していた様子や雰囲気が、その場にいた中心物の一人の当人から語られるのだ。何かが起こっている「その場」にいることの重要さ、とはこういうものか、と感動させられる。
 インターネットで世界が一つに結ばれているこの時代でも、シリコンヴァレーが特権的な場所として君臨しているというのも、そういうことだ。一つの文化は今だ地理的に一つの首都を必要としている。それが何故ニューヨークだったのか。何故シリコンヴァレーだったか?という問題もあるかもしれないが、それよりも重要なのは、首都は一つだということかもしれない。すべてが集まる中心ということだ。
 この前のザ・カルテットのメンバーは全員マイルスのバンドの卒業生であり、コンサートにも”マイルスに捧げる”と掲げられていた。いわゆるマイルス・スクールである。マイルス自身もバードのバンドの卒業生であり、彼は先行する世代から受けた教育と同じ教育を次の世代に与えたというわけだ。もちろん、教育といっても、チーチーパッパのレベルではない。それは言っても分からない類のものだ。そういうものを教えるには、一緒に仕事をして、直接人間対人間としてぶつかり合うしかないのだなあ。
 マイルスのバンドのメンバーになったら、次の目標は自分がリーダーのバンドを作り独立することしかない。そうして育てた若手は次々にマイルスのバンドを去っていく。それを新しい才能を見つけて、新しい音楽の方向を見いだす機会にしていくというマイルスの姿勢というのは、本当にすごい。こうして新しいことを吸収し続けたことが、彼を常に第一線にとどまらせ、帝王と呼ばせしめたのだなあ。こういうことができるのは、どんなに人から傲慢だと言われても、音楽の前では謙虚だったということの証左だと思う。