『サッド・ヴァケイション』:青山真治

2007年/日本/カラー/136分/配給:スタイルジャム
監督 青山真治 
製作 甲斐真樹
原作 青山真治 
脚本 青山真治 
音楽 長嶌寛幸
撮影   たむらまさき
出演 浅野忠信石田えり宮崎あおい板谷由夏オダギリジョー高良健吾中村嘉葎雄光石研

公式サイト
 ここまで堂々とやられると、「そんなに中上健次になりたいのか?」とも言えないかなあ。それを分かってやっているわけだし。むしろ、そういうところとは別の繊細な感性みたいなものが、本当はこの人の魅力なんだけどな。なんだか、頭で考えて、スクールのコンテクストみたいなものに自分を押し込んでいるような息苦しさをいつも感じるのは私だけだろうか。
 そうは言っても、石田えりが演じていた中上的怪物女振りは圧巻だったんだけど。超大乗仏教的というか、もうあるがままに世界を(受け入れるなんてものではなく)飲み込んでしまう女の怖さ。捨てたはずの息子とのあの関係は何とも言えずエロティックというか、息子は私が作った男、的な自分の支配を疑わない生命力。そういう女のすごさ、怖さが存分に出ていて感動的だった。
 宮崎あおいは相変わらず小動物的だったけど、もう大きくなってしまったから、小動物感が不足なのでウサギが出てきたんだろうか。中国人の子供もそうだけど。彼の映画の子供って、いつも小動物的な他者なんだよなあ。感情や意思を持って動くというよりは、動物的なレベルで生存を脅かされているという意味で。
 浅野クンも相変わらずいいなあ。優しさと無力感、それが行動に移されるときの怒りとか深く暗い激しさ、暴力。彼はキレる資格を持つ俳優なのだと思う。
 舞台は北九州なんだけど、大きな橋があって坂があって、なんだかサンフランシスコみたいに見えるんだよなあ。あの山のカルデラ地形なんかは、イタリア南部かシチリアみたいに見えるし。照明も露出オーバー気味のトーンで、ちょっと70年代のアメリカ映画かなんかみたいな自由や解放感みたいなものが、きっちり計算されて出されている。さすが、たむらまさき大先生。これが自由で解放的なのか、不自由で管理的なのか。そこの矛盾とバランスの緊張感を、彼の映画の魅力と思うのか、限界と思うのか、支持しようと思うのか、興味がないと思うのか。そこが踏み絵なんだろうな。そこの微妙さ。
 「大東京トイボックス」で、「ゲーム自体はパクリでOK。キャラをどう設定し、感情移入できるようにするかが、萌えの命」みたいな話が出てくるけど、その意味じゃ、青山真治って「萌え」だ、と考えれば分かり易いのかもしれない。あんまりと言えばあんまりだが。その意味じゃ、中上ワールドの中に配された小動物的な何かとは、青山真治自身なのかもしれない。