『デス・プルーフ in グラインド・ハウス』 監督:クエンティン・タランティーノ

113分、アメリカ、R-15
初公開年月 2007/09/01
監督・製作・脚本・撮影 : クエンティン・タランティーノ
製作 : ロバート・ロドリゲス
出演 : カート・ラッセルゾーイ・ベルロザリオ・ドーソン 、 ヴァネッサ・フェルリト 、 シドニー・タミーア・ポワチエ


お酒の肴にチーズが相性抜群
映画 デス・プルーフ in グラインドハウス - allcinema
 これは怪作というより、快作でしょう。わざわざ画面にノイズを入れたり、古い映画みたいなどぎつい色あせた色調を出してみたり、まあ、相変わらずのけれんみたっぷり。面白かった。良い子は真似しないようにしましょう。

 それにしても、この人は女子アクション好きだねえ。相変わらず、いかがわしさ含めて、エロくてスプラッターでとことん馬鹿馬鹿しい。その愚鈍なまでの律義さ、自分の作風を貫き通すエロとバイオレンスへ殉じるモラルが、口先のお上品なモラルよりも、ずっとモラリスト。そういうとこは、ヘビメタさんに近いかもしれない。
 前半戦の最後に足はふっ飛ぶわ、顔は大根おろしになるわの大スプラッターをやって、後半戦はどうなるか、登場人物は総入れ替えでどうなるかと思ったら、ああいう落ちとは。見る方のカタルシス解放と意表をついてひっくり返すこの構成。その加減があざといまでに巧い。お見事。

 スタントウーマンを演じたゾーイ・ベルは実際にハリウッドで活躍するスタントウーマンで、彼女がユマ・サーマンのスタントとして「キル・ビル」の撮影に参加したのが縁で、今回ヒロインに大抜擢となった。

んだそうだけど、そうだろうなあと思った。それにしても、あの農家に残されたカワイコちゃんはどうなってしまったんだろう。あの娘だけ、何のためにあそこに出てきたか分からない。ロドリゲス編に続いていったりするのかな?
 「デス・プルーフ」というのは、確実に死ぬような事故を起こしても大丈夫な様に作られたスタントマン仕様の車。“グラインドハウス”というのは、「独立系B級映画ばかりを2本立て、3本立てで上映するアメリカでかつて流行った映画館」なんだそうだ。まあ、これでタランティーノの映画と言うだけで、見に行く人は見に行くし、見に行かない人は見に行かないと思う。
 最初はオースティンのあばずれ娘の視点で彼女たちの物語みたいな話として始まるんだけど、バーを出る当たりで、視点がスタントマン・マイクの視点になるんだよな。それから、テネシーはほぼゾーイ達の視点になる。物語の視点が、こんな風に移り変わるのって、普通は反則。ハリウッド的には完全にアウト。誰の話か分からなくなって、観客が感情移入できない、と言われると思う。でも、ここでは、視点がそういう風に移り変わってしまう。なのに、観客は最初から最後まで引きつけられっぱなしだ。
 何故か?それは、その視点が、観客がそこの視点から見たいと思う視点=タランティーノが見たいと思う視点だからだ。その意味で、観客とタランティーノの連帯、共同幻想(つうか、共同妄想ですな)が成立する。お前達が見たいものはこれだろ、ほれほれ、から、俺たちはこれ見たいんだよな、どうだ、これだよ、これ、というのが、タランティーノの映画の独創性・パワーの源なんだと思う。こういう映画見たいけど、もう最近はこういうのないんだよな、じゃあ、作りましょう、という観客の欲望の過剰なまでの顕在化というのが、タランティーノの真骨頂なんだと思う。