ダヴィンチのロボット

 ダヴィンチの絵の人物の表情ってなんなんだろうなあ、と昨日からぼんやりずっと考えていたんだけど、あれって、ロボットっぽいような気がする。モナリザもアンドロイドの微笑み、なんてのがあったら、あんな感じじゃないのか。お能の面もあんな感じだけど。作り手の思いよりも、描かれたモデルの思いよりも、見る側の心を移すような透明な表情。鏡のような顔。それ自身を見ることはできず、見るもの自身の心しか浮かび上がってこない顔。
 あれだけ機械に興味を持っていたのだし、あの時代の天才的な技術者でもあった彼にしてみれば、人間の表情も科学的な研究の対象だった。実際に顔の筋肉と表情の関係を研究していたらしいし。彼にとっては、精神と肉体の結びつきというか、心は一体どうやって肉体で表現されるのか、というのは大問題だったんだと思う。それが、心と言葉という問題の方向に行かなかったのが、彼らしいんだけど。物質である肉体。その肉体が心を宿すという不思議。それは、脳科学なんていう問題設定したところで、単なる言葉の置き換えにしかすぎないんだと思う。で、そこで、宗教というのは、彼にとってなんだったのだろうか?
 ダヴィンチはやっぱり面白い。こちらの妄想をいくらでも広げてくれる。