東京国立博物館特別展「レオナルド・ダヴィンチ −天才の実像−」>


http://www.leonardo2007.jp/

 今日明日と休暇を取った。季節もいいし、天気もいい。もうすぐ終わりの「受胎告知」を見た。さすがに平日の午後なので、それほど混んでいない。壁際で止まってぼけっと15分くらい見れた。腹ごしらえするために入った駅前のレストランのテラスで、書いてる。

 一生の間に20枚と油絵を書かなかったというのは、なんなんだろうなあ。書くのが遅かったとか、他にもやることがたくさんあって忙しかったという訳でもないだろう。単に絵を書くことが目的ではなくて、絵を書くことは手段で、絵を書いたり機械を設計したり自然を研究したりすることで、一つの真実を追い求めていたのがダヴィンチという人だったのかな。そう考えると、一生の間に描ける、自分にとって意味のある絵というのは、彼を持ってして十数枚ということだったのだろうか。
 とは言っても、彼はパトロンの求めに応じて絵を書いていた訳で、そこの兼ね合いというのはよく分からない。あれだけの名声をヨーロッパに鳴り響かせていたわけだから、描いてくれという依頼は山ほどあったろう。未完の仕事や途中で辞めてしまった仕事もいっぱいある。そういう謎が、レオナルド・ダヴィンチをますます謎めいた存在にしているんだと思う。
 奥の方の第二会場では、彼の絵画以外の仕事を含めた展示をしていた。結局実現されなかった、というか途中で材料ごと持ってかれてしまった巨大な銅像の馬の前足の部分再現は度肝抜かれた。これ、全部できてたらどんな騒ぎになってたんだろうか。足元にいるだけで、頭の上にこんな馬鹿でかいものがあるのは不安になる。時間も無かったし、結構込んで来てたので、さっと回る。この辺は、昔、東京ステーションギャラリーで展示会やったとき見たのでまあいいかと。でも、やっぱり面白い。
 それにしても、あの完全さって何なのだろう云々。第二会場のビデオなんかで、彼の絵がいかに幾何学と遠近法によって完全な調和を構図において追及しているかの解説されていた。でも、「受胎告知」のマリアも実は左手がめちゃくちゃ長くて、右手がめちゃくちゃ短いとか、人間の姿勢はあり得ないようなポーズがいっぱいあるとか、言われて見ると本当だ、という発見があって面白かった。言われて見るとそうだ、と気づくということは、絵全体としては、それで調和しているということだ。当然、そういうことは計算して描いてたんだろうな。そこら辺、背景の幾何学的な調和、植物などの博物学的な書き込みと、人間の主観的な描き方が全体として一つの世界を作っているのが、天才の天才たる所以なのだろうなあ。「物質」と「精神」は、大画家であり大エンジニアである彼の世界観ではどう収まっていたんだろうか。
 これは彼にとって、処女作的な絵で云々。20歳ちょっとでこれを描いたって、凄いとしか言いようがない。これを見た芸大の学生は、きっと、みんな首をくくりたくなると思う。
 あの表情云々。彼は人間の表情と筋肉の動きというのも研究してたそうな。なんか、その辺も彼の絵のあの不思議な無表情とつながっているんだと思う。
 日立のDISシステム云々。日立が開発したシステムでデジタル化する試みとか、様々な科学的な分析機器による調査の話もじっくり聞いていると、絵が描かれる過程がわかってきて面白い。
 ミュージアムショップがやたら充実していて云々。鳥獣戯画のカエルが葉っぱを持っているスタンプが気に入って買った。
 国立博物館、面白そうだけど見る時間がなかった云々。
 後で書き直そう云々。

Leonardo da Vinci: The Complete Paintings

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