眼を閉じて音に触れ

第一回林檎班大会の模様 [DVD]

第一回林檎班大会の模様 [DVD]

 「第一回林檎班大会の模様」では、長谷川きよしさんが娘さんと一緒に特別ゲスト出演しているのだけれど、このボサノバなギターがスンごく良い。なんなのだろう、これ、なんかに似てると思ったけど、身も蓋もないが、スティーヴィー・ワンダーみたいなのだ。どちらも盲目のミュージシャンなので、決まり文句になってしまうが、やはり音が触覚的なのだ。スティーヴィー・ワンダーといえば、マルチプレーヤーで何でもできる人だけど、彼のプレーで一番好きなのは、実はドラム。あのキーボードの指先が奏でる官能、といっても、エロじゃなくて、生命の生み出す息吹という意味での官能も素晴らしいのだけれど、やっぱり、あのドラムのリズム、というより、楽譜には多分絶対書けないんじゃないだろうか、と思うあの独特のグルーブ感。視覚とかイメージには絶対還元出来ない、生命の根元のような触覚的な音。個体が自分を取り巻く宇宙の暗黒に自分の命の来し方をまさぐる営みとしての音楽。この広い宇宙の星の一つにに生まれて、太陽の光の下で生きているつもりだけど、よくよく考えれば、この宇宙は真っ暗で、その真っ暗な途方もない空間が広がっていて、その暗黒の中で灯された一粒の種のような小さな星で我々は生きていて、科学が宇宙の大きさを測ろうとしても、例え、測ることができても、その大きさ・広さを余りに小さな我々は感じることができないんだけれど、その広さを感じようと思ったら、宇宙の広さをちっぽけな肉体で感じ取ろうとしたら、視覚なんてなんの役にも立たないから、目なんかつぶってしまい、自分の肉体から紡ぎ出す音がこの世界にどこまで響いていくのか、この世界で音はどう伝わっていくのか、無限の宇宙に吸い込まれていく音、決して帰ってこないはずの響きに耳を澄ませ、触覚が生み出す音、その音の空間の中での広がり、ただそれだけを、触り、聞き、触り、聞き、することだけが、我々がこの無限の宇宙と交感する術ではないのか、その術というのが、音楽ではないのだろうか、我々と宇宙の間にはただ音だけが存在するのだ、などと、思ってしまうくらい、ここでの長谷川きよしさんのギター、感動的。