「外交敗戦―130億ドルは砂に消えた」: 手嶋龍一

外交敗戦―130億ドルは砂に消えた (新潮文庫)

外交敗戦―130億ドルは砂に消えた (新潮文庫)

 読了。大変、面白かった。で、読み終わって思った。「まるでその場で見ていたかのようにドキュメンタリータッチで書いてるけど、NHKワシントン支局長だといっても、何でこんな事知っているの?」橋本龍太郎まで含めて取材して、約4頁にわたるインタビューリストや山のような参考文献も付いているけど、やっぱり、何か裏の顔があるんでしょ?という気がしてならない。それにしても、よくぞ、ここまで踏み込んだなと思う。実際、外務省からは内容について、情報源の安全にも関わると抗議があったそうだ。よく新聞では、「この件を巡っては大蔵省と外務省の交渉が難航している。」なんて言う文章があって、読む方も「ふ〜ん」の一言で片づけてしまうが、、その難航というのがどういう事なのか、逆に言えば、新聞やニュースに於けるマスコミの報道というのがどれだけのことしか伝えていないのか、ということが、この本を読んでいると分かってくる。
 湾岸戦争時にサダム・フセインイスラエルに攻撃を仕掛けていたら、アラブがどちらの立場に付くかは明白だったが、何故、フセインがクゥエート制圧後にサウジアラビアイスラエルにも進撃しなかったのか、という話は慄然とさせられる。
 90億ドルを巡る橋本蔵相とブレイディ財務長官の唖然とするほど杜撰なやり取りもひどいが、こういう感覚でないと物事は何も決まらなかったり、前に話が進まなかったりするのも現実ではある。上の顔色を伺う組織のレベルでは、まず、「やる」ということが決まらないと誰も動かないからだ。その意味では、この二人に決断力はあったのかもしれない。
 しかし、実務的なところのツメが外務省と財務省の組織抗争で滅茶苦茶になっているのを見ると、暗澹たる気持ちになる。こういう対外的な交渉をやっていると、交渉相手の外交部門に対してよりも、政府内の部門間の方が対立が深くなりがちである。「せっかく外交チャンネルで話を進めているのに、財務側が横やりを入れてくるのはけしからん」という訳だ。倒錯した話だが、これも良くある話だ。
 そもそも、組織というのは、組織間に壁を作るために作るものである。でないと、大きな組織の場合は意志決定などできないからだ。しかし、それは組織のトップ同士の話し合いで調整できるという仮定が担保になっている。日本の大臣と官僚の場合はここの力関係がやはりおかしくなっている上に、全てを統合して判断する部分が弱いので、こうした省庁間の調整が機能しないという状態になっているのだろうか。