恋人たちの失われた革命@東京都写真美術館

恋人たちの失われた革命 (2005)LES AMANTS REGULIERS
182分、フラン、ビターズ・エンド
監督:フィリップ・ガレル
製作:ジル・サンドーズ
脚本:フィリップ・ガレル、アルレット・ラングマン、マルク・ショロデンコ
撮影:ウィリアム・ルブチャンスキー
音楽:ジャン=クロード・ヴァニエ
出演:ルイ・ガレル、クロティルド・エス

東京都写真美術館
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予告編:

 ここに映画見に行くのは「鏡の女たち」以来だ。屋外を禁煙にしているようなところは近寄りたくないけど、3時間の映画を普段見るのはきついので、休みのうちに見てしまおうと見に行った。
 3時間の映画はそのつもりで覚悟していくからむしろ苦にならないのだけど、つまらない2時間15分の映画の方が苦になるのは、なんでだろうと思う。
映画 恋人たちの失われた革命 - allcinema

「夜風の匂い」「白と黒の恋人たち」のフィリップ・ガレル監督が、自らの青年時代の体験を基に、革命に情熱を燃やし、夢破れた若者たちの絶望と愛の行方を全編モノクロによる詩的でストイックな映像で綴る青春ラブ・ストーリー。主演は監督の息子ルイ・ガレル、共演に新人クロティルド・エスム。1968年5月、パリの五月革命。20歳の詩人フランソワは兵役を拒絶し、大勢の若者たちが機動隊と激しく闘争を繰り広げるデモに身を投じる。ある日、彼は彫刻家を目指す美しい女性リリーと出会い、2人は一瞬にして恋に落ちるのだったが…。

青春ラブ・ストーリー。それはそうだけれど。。。
 ベルナルド・ベルトルッチの「ドリーマー」と同じ1968年の話を同じ主演俳優=自分の息子で映画化、なのだが、このルイ・ガレル君、美形。みんな、青春は美しくあって欲しいんだねえ。。。「ドリーマー」は、最近の今一つパワーが無くて悲しいベルトルッチの映画という感じで、アメリカからの留学生を主人公の一人にして何だかアメリカ映画みたいな感じで五月革命の話をしていたので、あれっという感じだった。まあ、イタリア人のベルトルッチにしてみれば、そんな感じも多少はあったのかもしれない。マーケティングを考えて、それをアメリカ人にしたんだろうなあ、と思うと、なんだか、白けるところも正直言ってあった。
 それに比べると、こちらのガレルは、まだ、あんたはこんなにこだわっているの?という位、1969年な映画。あのだるい空気が出ているのに参った。『夜風の匂い』で、少し肩の力が抜けたというか、少し前に進み始めたのかなあ、という気もしたのだけれど、あれはカトリーヌ・ドヌーブに気を遣っただけだったんだろうか。この映画も、これだけ真正面から一番痛い部分に自分の息子まで主役にして取り組んだと言うことは、そういうことができる心境になったということか、今集大成としてやらねばと言う気持ちなのか。そういう計算はしたけれど、やはりいつものように撮った映画、というのが一番もっともらしいところだろうか。
 やっぱり、この人はジャン・ユスターシュだなあ、と思った。でも、ユスターシュプロレタリアート的な哀しさの替わりに、政治の厳しさがひしと迫ってくるのがガレルだ。その政治って、「裏切り」という主題でもあるのだけれど。ガレルに比べれば、ゴダールも随分エンターテイメントというか、見せ物を出して遊んで楽しませてくれるよなあ、と思う。パンフのインタビューを読むと、「アベルガンツゴダール→俺→カラックス」と言うけど、何を持ってこう言っているんだろう?インディペンダントなフランスの映画製作、という意味では確かにそうかもしれない。詩的というよりは、私的な映画という意味だろうか。いわゆる『ゴダールの再来』と言われた早熟な天才の系譜は、そうなんだけど、でも、まあ、普通に考えて、「ブレッソン→ガレル、ユスターシュ→ドワイヨン」という一番厳しいフランス映画の極北の流れだと思うけれどなあ。
 ルブチャンスキーの異常にコントラストの高い白黒画面が圧倒的。あれって、やっぱり何か技術的なすごい工夫があるんだろうなあ。あの画面をできるだけ壊したくない、傷つけたくない、と、字幕の文字もすごく細い字にして本当に気を遣っていたなあ。後ろの席の方に「右側の席からは見にくいことがあります」という張り紙があって、左側に行ったのだけれど、あれは緞帳とスクリーンの奥行きの関係なのだろうか。
 やっぱりスゴイ。もう一回見る元気あるかなぁ〜。
 ニコの「Vegas」とキンクスの「This Time Tomorrow」が使われている。

Kinks Part.1 Lola vs Powerman and the Moneygoround

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 フィリップ・ガレルの映画は、死者ばかりが出てくる夢のようなものだ。