「噂の女」:監督 溝口健二@東京国立近代美術館フィルムセンター”没後50年 溝口健二再発見”

83分・35mm・白黒、’54(大映京都)(脚)依田義賢、成澤昌茂(撮)宮川一夫(美)水谷浩(音)黛敏郎(出)田中絹代大谷友右衛門久我美子進藤英太郎、見明凡太朗、浪花千榮子、田中春男、十朱久雄、阿井三千子、峰幸子


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 死語で「シャン」というのがあったけど、まさにこの映画の久我美子がそういう感じ。オードリー・ヘップバーンを意識していたのだろうか。それにしても、田中絹代久我美子で、この親子三角関係というのが、良いなあ。田中絹代の老いらくの恋というのが、スゴイよなあ。本当は、田中絹代って、おかあさんなので、芸者の置屋の女将さんには適役ではないと思うけれど、ここは逆にそこが生きてくる。さすが、溝口。やっぱり、鬼だな。その田中絹代置屋の女将に、そのオードリーっぽい久我美子を娘としてぶつける。このキャストにまずやられてしまった。
 やっぱり、この溝口健二の、女、女、女、の映画。それにしても、溝口健二の映画って、男がでたらめなのばかりでろくなやつが出てこない。ここまでろくでなしばかりでなくても良いと思うのだが。でも、黒澤が女を描けないとは言われても、溝口が男を描けないとは言われないんだよな。描けない以前に興味がないもんな。
 これは美術もスゴイ。御嬢様の離れのお部屋の垢抜けたスッキリ片づいた生活感の無さと、太夫の大部屋の雑然とした感じ、御帳場のあわただしい感じ、そういうその場の生活感が見事に出ている。映画美術って、それ自体で美術品になるようなものを作る訳ではなくて、当然、フィルムに映ったものがストーリーやその場の空気みたいなものを出していてナンボなのだけれど、これはもうそのお手本みたいなものなのだろうな。というのは、解説には「水谷の美術の中でも屈指の出来ばえと監督に言わせた置屋のセット」とあるし、ああ、確かにあの雰囲気良かったよなあ、と思うのに、何がといわれても、細部のあそこが良かったなんてすぐに言えない。多分、それで良いんだろうと思う。あの花瓶が良かったとか、壁に掛けられた傘がとか、そういう何がというのではなくて(それも死ぬほどこだわっているはずだが)、密度とか空気にそれがなっているかどうか、というのが、結局映画になったときに残るものだろう。そういう細部よりも、置屋のお勝手の土間と御帳場の微妙な段差とか、あの広々とした置屋で後ろで動き回る人も含めて画面に納められるような間取りとか、お能のシーンで田中絹代が二人の会話を盗み聞きしてしまうソファーの配置とか、そういったところを計算し尽くしての映画美術と言うことなんだと思う。
 黛敏郎の冒頭と最後の音楽もモダンで印象に残る。