IT化は本当に便利だろうか?

 こういうことを書くのは、何か不具合が生じていらいらすることがあったときと相場は決まっている。iTunesのライブラリーが先週ふっ飛んで、再構築をしていたのだが、時間がかかる。何故、時間がかかるかというと、アルバムの写真を持ってくるのと、ギャップレス再生のデータを作るための模様。途中でやめても、後でちゃんとバックグラウンドで再生するから、まあ許せるんだけど。これはやらないという設定にも変更できるけれど、デフォルトではやる設定になっているし、人情として一度は試してみたくなるのだが、始めてしまうと、これが結構時間がかかる。iTunesを途中で終了しても、次回ちゃんと作業を再開するのだから、これはソフトとしては、さすがに優秀だと思う。
 Napsterの方はもっと酷くて、先に書いた更新をしたら、プレーヤーを認識しなくなった。やれやれ、。。。メンテをしなければいけないのか。。。転送もうまく行かなくなっているし。動作もサクサク感がまったくなくて、使いものにならないかな、これは、という気がしてきた。
 まあ、PCのシステムが入っているハードディスクが一杯になっているので、それが良くないのだろうな、一つには。でも、実際の症状を見ただけでは、何が悪いのかわからない。調子が良くなっても、多分何を変えたからこれだけ良くなったなんて、わからないだろう。アップデートやバージョンアップがある限り、永遠にこういう状態は続くのだろう。
 最近の子供の理科系離れの理由の一つとして、身の回りのハイテク機器がブラックボックス化していて、時計を分解するようにして触ってみることができなくなっているので、自然科学や技術に対して興味を持てなくなっているという説がある。確かにこれはもっともで、こんな因果関係もわからないほど複雑化した技術に対してどこから興味を持てばいいのか、理科系の大人でも専門家以外は途方にくれるしかないだろう。
 それにもかかわらず、技術は進歩して、インターネットにアクセスすれば何でもわかってしまう。こういう環境では、WHY?と問うことよりも、HOW?と問うことの方がはるかに多くなる。もちろん、どこかにWHY?に答えられる人がいないと、社会は破綻するが。しかし、HOW?で簡単に答えが得られる世の中で、面倒なことを言っても万人に受け入れられるものでもない。その意味では、今の子供にしてみれば、魔法のコマンド一つで何でもできるハリー・ポッターの世界の方が、理科の授業より遥かに身近な世界に感じられるのではないだろうか。
 その便利になったという世の中で、PCを使ってやることというのは、本当に世の中を便利にしているのだろうか?便利さと一口に言っても、今までとてもめんどくさかったものが簡単にできるようになったという便利さと、今までできなかったことができるようになったという便利さの2種類がある。本屋に行って探さなくても探している本を見つけられるというような、今までやっていたことをITを使い簡単にするというのを、安直に「便利さ1.0」とすれば、検索などを通じて今まで知らなかった本を見つけることができるというのが「便利さ2.0」ということになる。
 実は、「便利さ2.0」は、今までやらなかったことなので、人間を忙しくしている。商売としても、今までなかったことをやる方が、既存の業界との競争がないので参入しやすい。それは、アマゾンとグーグルとユーチューブの成長速度を比べれば分かる話だ。こういう種類の便利さは我々を豊かにしているだろうか。幸福にしているだろうか。というのは、ありきたりな一般論ではあるが。
 U2の昨日のライブ通りにiTunesを使ってプレイリストを作ってみようとして、はまってしまったというだけの話なのだが。あ、次は「さいたま新都心」だ。