「黒眼圏」東京フィルメックス・クロージング@有楽町朝日ホール 監督:ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)


 クロージング・セレモニー。今年は6本見たけど、ダニエル・シュミット2本とオープニング、クロージングで4本で、コンペ部門は2本だけだったので、最優秀作品賞も審査員特別賞も見ていない。でも、昨日見た「オフサイド」がアニエス.b賞(観客賞)だったので、嬉しい。ロクにコンペを見ていないのに、最初と最後を見ると、本数の割にバーチャルな充実感が(笑)。来年は、安牌ばかり狙わないで、掘り出し物を探したいものだ。

「黒眼圏」主演女優のチェン・シャンチーさん

「黒眼圏」
台湾/2006/118分
監督:ツァイ・ミンリャン蔡明亮

 Q&Aで「セリフがほとんどないが、脚本はどうなってるの?」「良く言われるが、一応簡単なのがある。」というやりとりがあったが、本当にほとんどセリフがない。タイトルの意味は、分殴られたときにできる眼の周りの青タンのことだそう。英語タイトルは、”I don't want to sleep alone”で、こちらの方がそのまんまでわかりやすい、とのこと。
 すごい骨太な映画。圧倒的な絵だし、大胆なスタイル。でも、感動しなかった。何故なのだろうと考えたが、結局、裸とセックスが足りないのだと思う。
 テキ屋に袋叩きにされて道に転がっていたホームレスの男が、マレーシアのスラム街の男達に救われて運び込まれてくる。彼の面倒を見る工事現場の作業員の男は小用の手伝いまでしてやり、体を拭いてやり、蚊帳の中で自分の隣に寝かしてやる。ホームレスの男は立てるようになると、大家の女やその娘と交渉を持つ。面倒を見てくれた男が拾ってきたマットレスを大家の娘と運び出す。それを見つけた男はホームレスの男に怒りをぶつける。帰ってきた大家の娘もホームレスの男の隣で眠りにつく。マットレスは3人を乗せて、廃墟の水たまりを流れていく。
 大雑把にいい加減にまとめてしまうと、こんな話が殆どセリフもなく続くのだが。要は孤独で一人で眠りたくない、というこのテーマで殆ど裸が出てこないというのは、色々な事情があるにせよ、腰が引けているとしか思えない。別に裸が見たいと言っているわけではないが、マレーシアの蒸し暑い夜で、何も持たない者同士があの状況にあって、裸以外に何があるのか?寝たきりで植物人間状態の弟のマスターベーションを大家の母親に娘が強制されるシーンがあるが、そうした性的なものからも逃げ出したいというのが、最後の三人が流れていくシーンに込められた思いなのだろうか?
 大島渚の「愛のコリーダ」なんて、単に映画としてはそんなにすごい傑作だなんて思わないし、映画として感動したりなんかしないけど、あそこまでやった彼の勇気には感動せざるを得ない。そこが大島渚というか、あの時代のいかがわしさでもあるのだけれど、今見ても、ああ、これは事件だったのだな、と理解できる刻印が確かにあそこには刻まれている。この監督は、単なる映画監督としては美学的に大島渚なんかよりずっと才能あると思うけど、度胸がないんじゃないだろうか。脱げばいいというものではないけれど、技法や美学が大胆なだけに、秀才的な限界が目につくような気がした。さすがに、上映後のQ&Aで手を挙げて、目の前の女優さんに「何故、この映画のために脱がなかったのですか!」と問いただす度胸は私もなかったけれど、……(やっぱり、聞けば良かったかな)。この監督の限界なのか、アジア的な羞恥心や感覚の問題なのか、検閲や映画のコードの問題なのか。他の作品を見ていないので、判断保留だけれど、スッキリしない。「廃墟がすごい」とか「蛾の撮影が奇跡的」だなんて、オタクなQ&Aする前に白黒つけなきゃいけないことがあるだろう!と、思うのは私だけだろうか。