「忘れじの面影」:マックス・オフュルス

監督:マックス・オフュルス 製作:ジョン・ハウスマン
原作:ステファン・ツヴァイク 撮影:フランク・プラナー
音楽:ダニエル・アンフィシアトロフ 
出演:ジョーン・フォンテイン、ルイ・ジュールダン、メイデイ・クリスチャン 他
1948年 / アメリ
番組時間(CM時間を除く) : 1時間27分17秒

http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0001750/
 Gyaoの画面って、時々カクカクするんだけど(一応、ADSL24M)、最後まで見てしまった。

 夜更けのVienna、1920年頃。決闘なんて名誉のための贅沢だ、と嘯きながらピアニストが馬車を降り、家に帰ってくる。手を出した女の夫に訴えられたのだ。しばらく逃げ回るから準備してくれと言う彼に、執事は手紙を差し出す。「この手紙をあなたが読まれるころ私は生きていないでしょう、…」という書き出しから、その手紙は始まる...
 少女の家の隣の部屋に立派な家具が運び込まれてくる。少女は目を奪われる。それは新しい隣の住人のピアニストの物だった。それが、「彼女の人生が始まった日」だった。少女は彼のピアノの音を毎日庭のブランコに乗りながら聞く。絨毯を外で叩く日に、彼女は彼の執事を手伝い、絨毯を運び込むのに紛れて、あこがれの彼の部屋に入り込む。物を落とした音で執事に見つかりあわてて外へ逃げ出す…。まだ幼い彼女は彼の眼中にはないのだ。
 母親の再婚と共に彼女はViennaを去る日が来る。しかし、彼女は両親を巻いて家に帰ってしまう。彼が女性を連れて夜中に帰宅してくるのを見ても、彼女の熱は冷めることがない。両親に将来を嘱望される軍人を紹介されても、彼女は「心に決めた人が、…」と断ってしまう。
 やがて、彼女は一人彼のいるViennaに帰り、mannequinを始める。そして、ついにある晩、彼の帰り道で声をかけられ、二人は恋に落ちる。しかし、彼は演奏旅行でミラノに二週間出かける。彼女は彼の想い出を胸に、姿を消す。
 そして月日が流れる。彼の子供を連れて結婚した彼女は、ある日オペラ座で磊落した彼を見かける。人々は彼を見て、「女で才能を浪費した哀れな奴だ」と陰口をたたく。彼は彼女に再び声をかけるが、既に彼は彼女を思い出せない。息子を一人列車に乗せるが、その列車ではペストが発生していた。息子も彼女も病に倒れてしまう。彼女は彼女の人生の全てであった彼に手紙を書き始める…。
 手紙は彼女を看取った医師を通じて送られてきていた。手紙を読み終わった彼を迎えに馬車がやってくる。夜も明けぬ午前五時。彼は、決闘に出かけていく。

 こうして粗筋だけ書くと、馬鹿みたいなメロドラマ、としか読めないのだが、メロドラマってそもそも粗筋にしてしまうと馬鹿みたいな話を、とてつもなく美しい話に見せてしまう魔術みたいなもの。彼が女好きで自分のことなど眼中になくても、思いこんだらもう他のことなどどうでも良くなってしまうという、この狂気の沙汰。毎晩彼の帰り道で用もなく待ち伏せしているというのは、今の言葉で言うとストーカーだし、頭がおかしいということなんだけど、そう言ってしまうと、ロマンスとかメロドラマってもうありえないんだよなあ。出生率が1.3以下の社会になるのもむべなるかな。
 でも、彼がどういう人間かわかっているから、彼がミラノに二週間出かけたところで身を引いてしまうんだよねえ。このまま彼と一緒にいてもどうなるか、判っているから身を引いちゃうんだよねえ。あれだけキチガイみたいに彼を追いかけていながら。ここが良いんだよなあ。
 次に会ったときには彼が彼女のことを「どこかであったと思うのだが、思い出せない」とか、彼のうらぶれた様とか、その辺の残酷さがまたすごい。それから、もうひとつ、この話のすごいところは彼女がまだ少女のころから母親になっているところまで、これだけの長い時間を一人の男と一人の女の間の話として描いているところ。この辺の構成はマックス・オフュルスの得意なところ。それから、最初と最後の構成のうまさ。最後に彼が決闘に向かうところが泣かされる。
 これを淡々と1時間半足らずで描いてみせる、というのが本当に素晴らしい。「アデルの恋の物語」なんか、これを見てると、ちょっと分かりやす過ぎる(イザベル・アジャーニだから仕方ないか)という気がしてくる。

 ジョーン・フォンテインって日本生まれだったの?知らなかった。