「超ガラパゴス戦略~日本が世界で勝つ価値創出の仕掛け」: 芦辺洋司

超ガラパゴス戦略~日本が世界で勝つ価値創出の仕掛け

超ガラパゴス戦略~日本が世界で勝つ価値創出の仕掛け

 ケーススタディのはじめの方くらいまで読んだけど、ここで放り出すことにする。なんか、この辺でいいやという気になったので。
 「日本発・海外発」×「日本市場・海外市場」の四象限のフレームワークで、日本発×日本市場でガラパゴス化することなく海外発もしくは海外市場へと展開していく道筋を探ろう、日本から世界へ、というのが骨子。
 このフレームワークは、考え方として間違っている訳ではないんだけど、突き詰めていくと、ビジネスの話ではなくて日本文化論になる。その意味で、この戦略は正しい。戦略は真似できないモノを競争軸にするべきだからだ。だけど、ビジネス書なので、そこの日本文化論については、まあ、突っ込んではいないのが、賢明だとも言えるし、どうだろうか?と言う疑問が本質的に行き着くところだ。ただ、やっかいだということは、やる価値がある、考える価値があるということだ。
 技術なんていくらでも真似できるし、いくらでも抜け道がある。かの中村修二大先生の青色LEDや青色半導体レーザーだって、いまや、各社が生産している。技術はなければ負ける。しかし、あれば勝てるモノでもない。技術は真似できるのだ。
 トヨタの強さは、要素技術の強さではなくて、生産を軸とした文化を作ってしまったことだ。あれは、「生産技術」ではなくて、「生産文化」と呼ぶべきだと思う。「生産技術」と、彼らが言うときには、自分たちの「作品」を誇るニュアンスがいつも含まれている。
 技術はデジタル的にコピーできるが、文化はアナログなので真似しかできない。コピーできない。最近では、半導体太陽電池などの世界では、「ターンキー・ソリューション」、つまり、装置をレシピごとに買ってくれば、誰でも作れる、なんていうことも言われている。製造装置メーカーが付加価値を高めようとしたら、そういう方向に行く。日本の最後の技術的なコンピータンスは製造装置メーカーだ、なんて話もあったけど、彼らにしてみれば、自分たちの生き残りが最優先だし、いつまでもガラパゴスにつきあってくれる訳でもない。そうなると、設備投資だけの話になる。だから、多分、シャープの太陽電池はこのままだと、世界市場では競争力を持てなくなるだろう。実は、世界的に見れば、液晶パネルの市場では、韓国勢がトップ集団、台湾勢が第二集団で、そこから落後しそうなのがシャープのポジション。亀山モデルというのも、ものづくりにクローズにこだわったガラパゴスの悪例かもしれない。その挙げ句、今度は生産技術を中国に売ろうというのだから、実状は迷走している感もある。
 しかし、携帯電話のように、行政の方式選択や電波行政で閉ざされた世界はともかく、そんなに、なんでもかんでもガラパゴス言うなよ、という気もする。そもそも、日本は輸出立国でここまでやってきた。何がガラパゴス化した悪例で、何がガラパゴス化しなかった好例なのか?そこの分析もあるべきだと思うんだけど、その辺、ケーススタディはぱらぱら見た限り、大して有益そうに思えなかったので、ここまで読めばいいや、という気になった。
(後でまた書く。)
 本質的にガラパゴスなのは、やはり、言葉が絡むものだと思う。出版とか、教育、サービス。この辺は、市場が人口がこれから減っていけば、自動的に衰退産業になるだろう。文系の学問というのは、絵に書いたようなガラパゴスだもんな。出版社も、翻訳といえば、日本語に訳すことだとしか思っていないんじゃないだろうか。それから、ホテルとかサービス業。こういうローカルな地場産業は、海外から観光客を呼び込まない限り、ジリ貧。
 そう考えると、やっぱり、モノ作らないとやっていけないのかな、日本は。というか、モノ作りながら、衰退してくのかな。だとしても、どう衰退していくのか。ジジババばかりになって、日本列島が姥捨て山になっていくのか。