仏教って何やってるんだろうね

 知人が某宗教系政治団体から政治家に転身するとか、知人のお子さんに不幸があったりとか、近頃身の回りで色々なことが起こっているみたいなのだが、自分自身に何か係累が及ぶ訳では無し、至って気楽な立場なのだが、それでも、これは何なのだろう?と思う。こういう騒ぎや世の中の動きに仏教の「ぶ」の字も出てこない。
 こんなに社会的にも不安があふれているのに、流行るのは怪しげな新興宗教ばかり。今日の読売新聞の朝刊にも、若者にアピールするために唱名のコンサートが、なんて記事があったけど、そういうことやっている場合か?と。なんじゃ、そりゃ?坊主丸儲け、という言葉があるけど、まさにその通り。冠婚葬祭でそれなりに手堅いビジネスチャンスはあるんだろうけど、あえてビジネスとして言っても、一番頼るものを求めている人を相手にせず、安直に金を落としてくれる人を対象にすることで、楽な商売に徹している。これは典型的な「大企業病」だ。その結果、多くの人が新興宗教に救いを求めて不幸になっている。そもそも、結婚式はウエディングドレスの方が多いだろうから、ますます衰退だろう。
 この前見たクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」でも、神父が重要な役割を果たすんだけど、ああいうお節介な人というのはやっぱりコミュニティがコミュニティとして成立するためには必要なのかな?と思う。個人的には、あの映画の中でイーストウッドが示した反応の方に共感するだろうけど。どんな形であれ、宗教団体には関わり合い持ちたくない、というアレルギーもあるのだけれど、怪しげな新興宗教が跋扈するのを見るにつけ、それなら、既存の宗教がもうちょっとがんばってくれた方がましなんじゃないのかな?と思う。若者には一生懸命おもねる様にしています、みたいなことじゃなくて、派遣村ができたら、まず、坊主が施しに行け。やくざの出家を受け入れている場合じゃないだろう。
 もはや、誰もこういうこと言わなくなっているんで、あえて言ってみたんだけど。