「グラン・トリノ」 監督・製作:クリント・イーストウッド

2008年アメリカ映画
上映時間:1時間57分
配給:ワーナー・ブラザース映画

【ワーナー公式】映画(ブルーレイ,DVD & 4K UHD/デジタル配信)|グラン・トリノ
グラン・トリノ - Wikipedia
 旅行に行ったら、園芸作業も遅れがちになり、見逃しそうになっていたが、さすがに見逃す訳にはいかないのでシネスイッチ銀座へ見に行ってきた。もう、19時の回しかないのだけれど、ほぼ一杯。
 「許されざる者」以降のイーストウッドの作品は、あまりに重いので、なかなか何度も見る気になれない。でも、嫌いな作品など一つもない。多分、いつかまた見ようと思うのだと思う。でも、葬式で始まり葬式で終わる映画なのだが、これはすぐに、もう一回見ることができるかも、と思った。とは言っても、相変わらずヘビーな映画なのだけれど。

 その「許されざる者」以降のイーストウッド、というのがなんだったのか、というと、「アメリカの老い」/「滅び行くアメリカ」だったのだろうか。ヨーロッパ/貴族社会の終わりをルキノ・ヴィスコンティが描いたように、アメリカ/白人中流社会の終わりを描いた作家として、クリント・イーストウッドは映画史に描かれるのかもしれない。そう考えると、この映画は「家族の肖像」と比較すると面白い。過去の時代の価値観に殉じようとする老人と、その隣人として外からやってくる新しい時代の若者と言う構図は完全に同じだ。アメリカの時代の終焉なんていう大文字の物語と個人を重ねてしまうような乱暴な物言いは好きではないが、そうした時代の大きなうねりを図らずもイーストウッドは体現している。
 最後の葬式のシーンで棺桶に入っているイーストウッドと言うのは、どきっとすると言うよりも、やはりにやっとしてしまう。「誰でも一度は入るんだし、居心地を確かめておいた方が良いかな、と思ったんだ。」くらいは言いそうだな。

 アメリカ中西部の朝鮮戦争で従軍経験があり、13人を殺したという経験をし、除隊後はフォードの組み立て工として定年まで勤め上げ、妻に先立たれた今は72年型のフォード「グラン・トリノ」をいじるのが生き甲斐、息子夫婦や孫のすることなす事がむかついて仕方がない、と言う絵に描いたような頑固親父が、隣人のモン族のベトナム人に心を開いていく、というところが、やはり見所。イーストウッドというと、どうしても共和党タカ派というイメージがあるけれど、がちがちの教条派ではないし、こういうのを見ていると、本質的にリベラルな保守派というのは、実は結構保守的な改革派というのよりも、大人としてはかっこいいし、いいなあ、と思う。
 これは新人のニック・シェンクが執筆した脚本だそうだけれど、そういう脚本を取り上げるというのも、さすが、という感じ。アジア人種に対する偏見発言ががんがん出てくるけど、こういうのを臆せずできるのも、実は長老ならでは、なのかなあ。こういうのはぶつけ合って、そこを超えないと、本当の意味でコミュニケーションできない。硫黄島もそうだし、元々、ヨーロッパでの方が俳優としての評価も高かった人だから、そこの感覚というのはしっかりしてるんだな、と思う。床屋の抱腹絶倒のやりとりなんか、悪口というのは文化なんだな、と思う。

 最後の殴り込みなんか、もう高倉健だよねえ。でも、ああいう手だとは、意表を突かれた。そこで、神父との話とか、シャーマンの占いとか、朝鮮戦争の話とか、生きてくるんだよねえ。人を殺すということの恐ろしさやどうしようもない罪の意識とか、本当は死に場所を探しているような居場所のない老人の気持ちとか。
 イーストウッドは、この作品以降は積極的に俳優としての役柄を探さず、監督として活動するということだけれど、これを見ると、まだまだ俳優としていけるな、と思う。脇役としては存在感がありすぎるけど、まだまだ見たいなと思う。