No Future

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これから始まる長期停滞においては、少子化とあいまって、ほぼゼロが自然な成長率になるだろう。こんな狭い国に1億3000万人も住んでいるのは多すぎるので、少子化は悪いことではない。しかし椅子にしがみついた老人たちは、退場するとともに椅子も持ち去り、将来世代には巨額の政府債務とマイナスの年金給付だけが残る。

こういう将来を合理的に予測すれば、それに適応して生活を切り詰め、質実で「地球にやさしい」生活ができる。日本は現在の欧州のように落ち着いた、しかし格差の固定された階級社会になるだろう。ほとんどの文明は、そのようにして成熟したのだ。「明日は今日よりよくなる」という希望を捨てる勇気をもち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。幸か不幸か、若者はそれを学び始めているようにみえる。

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この意味で今の日本が不幸なのは、富が失われていることより希望が失われていることだろう。終戦直後の日本では、若者は焼け跡に設計図を描いて新しい事業を興すことができたが、今では都市はコンクリートの建物で固められ、職場はノンワーキング・リッチに占拠されている。仕事がいやになっても、転職すると生涯収入は5000万円以上減る。起業してもうかると、東京地検特捜部がやってくる。政府はバラマキと企業救済で、社会主義に舵を切った。それが偽りの希望だったことは、歴史が証明しているにもかかわらず。

この閉塞状況に対するもう一つの答は、安冨歩氏もいうように、選択の自由なんて幻想だと悟り、希望を捨てることかもしれない。この「東洋的な道」の先に何があるのかは、正直いってよくわからないが・・・

 この前、東大と三菱総研のシンポジウム「希望ある未来社会実現のために今、何をすべきか」というのを聞いてきたんだけど、これもタイトルとはまるで逆で全く希望のない話だった(笑)。それで、希望がなくてどうするのか、というと、それでも日本は個人資産が土地の形で莫大に埋もれているので、これを生前にリバース・モルゲージにして、資産を消費に回して経済活性化させる、とか、ひどい話ばかりだった。リバース・モルゲージというのは、逆方向支払い住宅ローン。現在所有する家を担保に、貸し手から借り手に支払われる。本人またはその配偶者の存命中はローンの支払いをする必要がなく、またその家にいつまでも住み続けられるという仕組み。要は子供に何も残さない。でも、少子化が進んでいるので、子どもがいなければ、これを活用しようと思う人は多いだろうな。でも、それでその資産はどこに行くのかといえば、そのローンの貸し手の金融機関。結局、資本家だけが肥え太るという仕組みだなあ。
 こういうマクロな人口ベースで議論できる予測というのは、動かしようもない事実なので、こういう話だけは将来予想も本当に当たる。日本がマクロに長期で見て衰退していくというのは、多分避けられないだろう。その前提で自分戦略をどう考えるか。日本のことなんか知ったことではない、俺はこうだ、という自分戦略を持てるかどうか。はあ。本当にどうすれば良いんだろうねえ。