アキハバラ・テロリズム(3)

ビジネス : 日経電子版
 このコラム、体張って書いてるなあ。

 加藤容疑者は、人間の女性が相手をしてくれないなかで、綾波レイを恋愛の対象として選んだのだろう。もちろん、そのことが無差別殺人に結びつくわけではない。綾波に恋をしている男は無数にいるからだ。正直に言うと、女性にもてないという意味では私も加藤容疑者と同じだったし、今でも似たようなものだ。私も理想の女性は綾波レイだ。

 この辺、すごい。

 結論を書こう。私は彼がアキバ系だったから犯行に及んだのではなく、アキバ系になっていなかったから犯行に及んだのだと思う。

 事件の2日後、私は秋葉原を訪れ、献花台に手を合わせた。多くのアキバ系の人たちが沈痛な面持ちで、涙を流している人もたくさんいた。

 アキバ系の人たちは、まじめで、誠実で、法令順守で、そしてとても優しい。加藤容疑者がもし、アキバ系のコミュニティーに加わっていれば、彼を止めることができたと私は思う。

 彼の行った犯罪は多くの人の命を奪い、人を傷つけたことだけではない。彼と似たような境遇に置かれながら、それでも二次元を愛することによって、明るく、真面目に生きているアキバ系の人たちの評価を下げ、オアシスを壊してしまったことなのだ。

 まあ、ここまで肩を持つのも、偏っている気はしなくもない。どんな集団にも、いい人も悪い人もいる。でも、アキバ系にもなれなかったから、犯罪に走るんだと思う。何系とか、何か自分が帰属するところを見つけられなくて、ああなるんだと思う。
 
 この事件のタイミングを逃さずに、と言わんばかりのタイミングで、宮崎勤の場合、何を考えていたのかはっきりしないまま死刑が執行されてしまったが、本当は何を考えていたのかしゃべらせなければいけないと思う。でも、しゃべったら、死刑執行する、となったら、ああやって延々と精神鑑定を要求することになる。
 法的には死刑があるのだから死刑執行は何も間違っていない。しかし、死には死を、というのは、私刑とどう違うだろうか?特に、今のヒステリックなマスメディアが世間を煽る世の中で。
 宗教のない国の人間としては、死刑賛成論者にも反対論者にも、なかなか、なりきれない。イスラムのように、目には目を、とも言えないし、キリスト教徒のように、人は人を裁けないとも言い切れない。市井の小市民としては、仏教、仕事してないな、と責任転嫁してみたくもなる。