「ペット・サウンズ」: ジム・フシーリ(翻訳 村上春樹)

ペット・サウンズ (新潮クレスト・ブックス)

ペット・サウンズ (新潮クレスト・ブックス)

 どこかの神様がひょっとしてこんなことを言ったのではあるまいか、とあなたは考えるかも知れない。「多くの人々に対して、多くの大事なものを与えることの出来る人間を私は作ろうと思う。人々の心を豊かにし、人々の人生に陽光を送り、人々が自らを表現し、また自らを理解するすべを示し、この世界における自分たちの居場所を見つけ出すことができるようにする、そんな作品を生み出せる人間を。しかしその本人は、とことんつらい目にあうように設定しておこう。彼の与える恩恵が自らには決して及ばないようにし、自分が向上させてきた世界が本人にとってはあくまで陰鬱な独房であるようにしておこう」

 その人間というのが、ビーチ・ボーイズのリーダーだったブライアン・ウィルソンだ。著者が描くこのブライアン・ウィルソンは、まるで村上春樹の小説の登場人物そのものだ。この本は、「ペット・サウンド」を中心に、著者自身のビーチボーイズの同時代体験や、ビーチ・ボーイズの全盛期までの道のりが縒り合わされている。その意味では、評論と言うよりも、ビーチボーイズ体験、そして、ファンが描くブライアン像といった感がある。

ペット・サウンズ

ペット・サウンズ

 ドラッグに溺れ、ピアノの下に砂場を作り、何年もベッドから出ようとせず、鬱病を克服できなくなっていったブライアン・ウィルソンの悲劇は、ある意味、ドラッグの摂取過多で死んでいったミュージシャンの話以上に悲しい。それが再びステージに立てるようになるまで一体何があったんだろう。適切な鬱病の治療を受けたと書いてあるけれど、大変だったんだろうな。。。
 著者も村上春樹も書いているけれど、「ペット・サウンズ」が発売された当時は売れなかったし、これほどの大傑作という評価を一般に得てはいなかったというのは、何となく分かるような気がする。これを聞いて、ビートルズが「サージェント・ペパーズ」を作ったという有名な話もあるけれど、当時、ビートルズがライバルだと思っていたのは、ビーチボーイズだった、というその当時の構図が今じゃ見えなくなっている。その意味では、こうして1冊読んで見る価値がある。ブライアン・ウィルソンに匹敵する天才的な作曲家って、ポール・マッカートニーとスティービーワンダー、‥‥。後は名前がすぐに出てこない。どう考えても、一番割を食っているのはブライアンだ。現在のマニアックな評価に繋がってしまっているところには、違和感を感じないでもない。でも、それはポピュラー音楽の常であり、その流行廃り感が、そもそものポピュラー音楽の面白さであったりする。
 その意味では、グループ内の変化が必然的に解散というストーリーに向かっていったビートルズというのは、本当に希有な例なのだと思う。ジョンとポールという二人の天才を有していたと言うことは、奇跡的な幸運だったのだと思う。小野洋子が「ポールと出会わなかったら、ジョンなんて、港町のリバプールでいい詩を書いて、飲んだくれで終わっていたわよ」と言う通りなんだと思う。
 ブライアンにはそんな奇跡は起こらなかった。