「獣人」(1938):監督 ジャン・ルノワール

獣人 [DVD]

獣人(1938)
LE BETE HUMAINE
メディア 映画
上映時間 99分
製作国 フランス
監督: ジャン・ルノワール
原作: エミール・ゾラ
脚本: ジャン・ルノワール
撮影: クロード・ルノワール
クルト・クーラン
音楽: ジョセフ・コズマ
出演: ジャン・ギャバン
フェルナン・ルドー
シモーヌ・シモン
ジュリアン・カレット
ブランシェット・ブリュノワ
ジェラール・ランドリ
ジャン・ルノワール

 「ルノワールルノワール」、一本位は見ておくか、と思って文化村に見に行く。この昔、フィルムセンターでもやるみたいで、こっちでやる作品は大体何回か見てるんだけど。これも、昔アテネ・フランセで英語字幕で見た気がするのだが、怪しい。
 久しぶりにルノワール見てしみじみ思ったけど、アメリカ映画はまず脚本だけど、やっぱりヨーロッパは役者、人があって、そこから話が動き出すんだなあ。ジャン・ルノワールの自伝にも父親から木の葉を見せられて「同じ葉っぱなんか一つもない。それを良く見て描くんだよ。」と教わる話があったと思うけど、それと同じことで、世界を統べる法や物の理みたいなところじゃなくて、あくまで、目の前の役者、人間みたいなところから、映画が始まっている。それが、ルノワールの映画をあれほど自由で軽やかなものにしているんだと思う。これがヒューマニズム人文主義なのかなあ。ユマニズム、と言った方がいいのだろうか。
 映画は機関車から始まるんだけど、やはり、これがすばらしい迫力。ここだけ繰り返し見ても飽きないだろうなあ。
 その機関車の機関士がジャン・ギャバンで、彼は大酒飲みで酒乱の家系で、時々暴力を振るい殺人の衝動に捕われてしまうという病気を抱えている(そんなの本当にあるのか?とも思うが、そういう話なんだからしょうがない)。機関車が故障し、修理の間時間ができた彼は、ちょっと離れたところに住むおばさんに会いに行く。このおばさんが線路沿いに住んでいて、いつも線路沿いの庭でひなたぼっこをしているが、機関車に乗って彼が通っても、あっという間に行ってしまうのだから、というのが、何とも言えずおかしい。そこで久しぶりに、恋人と会うのだが、彼は殺人の衝動に捕われ、彼女の首を絞めてしまうが、すんでのところで踏みとどまる。この彼女が登場するところのシーンでは、彼女はボートに腰かけ川に足を浸して涼んでいるのだが、もうこういうシーンは「ルノワール家」のお箱という感じだ。生命が溢れると、それがエロティズムとして周りにこぼれるという、おおらかな人間賛歌。それをにやにやと見ていた近所の若者を彼女はドンと川に突き落としてしまうのだけど、あの楽しさ。このあたりは、ストーリー的にはジャン・ギャバンの病気を説明するためだけにあるようなシーンなのだけれど、それがかくも楽しい。
 その帰り道、列車の中で彼は助役とその美しい妻(シモーヌ・シモーネ)の姿を見てしまう。助役は列車に犬をつれこんだ男を注意したのだが、それが大金持ちで、彼の妻が奉公人の娘として育った有力者にとりなしを頼みにパリに行ったのだ。しかし、彼女がその有力者の愛人であったことが分かり、助役は彼の妻に手紙を書かせ、列車におびき出し、コンパートメントの中で殺してしまった。その後、自分たちのコンパートメントに戻るところをジャン・ギャバンに見られてしまったのだ。この助役はどんどんひどい男になってくるのだけれど、この犬を連れた金持ちを毅然と注意するところなんかは、本当に毅然としている。そういう描き方するところが、ルノワールの人間観ですね。
 死体が発見され、乗客が集められるのだけれど、ギャバンはシモーネたちを見たことを口にしない。ギャバンは相棒から助役の妻が殺された大金持ちと縁があったことを知る。シモーネはギャバンに口止めしようと近づくうちに恋仲になってしまう。夫はシモーネへの嫉妬と秘密を守るために、彼女と言い争うようになり、二人の中はますます冷えていく。この辺では、ギャバンが「怪しい人を見なかったか?」と聞かれて、シモーネのこわばった表情のカットが入り、「目にゴミが入って誰も見えなかった」というあたりが、もう運命という感じで、溜息。運命の瞬間。こういうシーンって、もう、何とも言えない。これが映画です。
 夜勤をするギャバンの所にシモーネがやってきて、「夫は今見回りをしている、もうすぐここを通る。」と言う。鉄棒を持ち、物陰に隠れる二人。通り過ぎる助役。後ろから鉄棒を持ち殴り殺そうと忍び寄るギャバン。しかし、彼は鉄棒を振り下ろすことが出来ない。去っていく助役。ここもすごく良い。殺人衝動に時として駆られる男が、人を殺そうと思っても殺せない。殺してしまいたくても、殺せない。何故って、人だから。人だから、殺したくても、人を殺せない。
 その夜をきっかけにして二人の間は離れていく。鉄道局のパーティーにシモーネは気障な若い男を連れてやってくる。ダンスを申し込むギャバン。あなたが好きだが、もう止めようと言うシモーネ。彼女の家へギャンバンは追いかけていく。そして、助役が帰ってきたら、彼を殺そうと待ちかまえる。そのとき、彼に殺人衝動の発作がやってきて、ギャバンはシモーネの首を絞めて殺してしまう。翌朝、ぼうっとした表情で駅にやってくるギャバン。「もうすぐ発車だ、早く着替えろ!」と相棒に促され、彼はとにかく着替え、機関車を出発させる。彼は相棒に彼女を殺したことを告白し、疾走する汽車から飛び降り自殺する。
 この設定からして、こうなるんだろうな、とは半ば分かってはいるのだが、夜明けに駅にやってくるあたりから最後のシーンまでのギャバンの茫然と力が抜けた悲しい姿が何とも言えない。シモーネの役どころも、最初は夫の嫉妬に巻き込まれて片棒をかついだような形だったが、それが夫と仲が悪くなるにつれどんどん悪女になってくる。そういう人間の描き方がやはり面白い。