「沖縄文化論―忘れられた日本」: 岡本 太郎

沖縄文化論―忘れられた日本 (中公文庫)

沖縄文化論―忘れられた日本 (中公文庫)

 読了。

 女房はとっくに死んで、あとは十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ年位の小娘をもらってきて、山の炭焼小屋でいっしょに育てていた。なんとしても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手でもどってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へはいって昼寝をしてしまった。
 目が覚めてみると、小屋の口いっぱいに夕日が差していた。秋の末のことであったという。二人の子供がその日当たりの所にしゃがんで、しきりになにかしているので、傍にいって見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いていた。阿爺、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入り口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それでじぶんは死ぬことができなくてやがて捕まえられて牢に入れられた。この親爺がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまたわからなくなってしまった。

 この本の冒頭で引用されている柳田国男の「山の人生」にある美濃のある炭焼の話である。ここに、岡本太郎は、「人間の生命のぎりぎりの美しさ」を見いだし、これと同質の人間生命の根元的な感動を沖縄体験で経験する。彼が沖縄を訪れた1959年、沖縄はまだ米軍統治化だった。日本ではなかった(沖縄返還は1972年)。

 じっさい、明治末期に悪法が廃止され、八重山が解放されてから、では一体この人たちは何を生み出したというのだろう。(p.114)

 岡本太郎の毅然とした精神のあり方みたいなものに感動した。美術品の類にはがつんと「ぶつかってくるものがない」と言い切る一方で、歌や踊りなどの無形伝承文化や御嶽の「なにもない」=アニミズム的な信仰のありざまに感動するというのは、こう簡単にまとめてしまうと、まあ、なんだ、といえば、なんだ、ということになるのかも知れないが、読んでいると、エネルギッシュな岡本太郎の貪欲な好奇心と毅然とした姿勢が伝わってくる。そこの清々しさにうたれた。

 歌とか踊りというものは、生きる、その充実のほとばしりであって、その瞬間に叫び、その瞬間に舞えばそれでいい。音として消え、形として消えるものなのだ。吹きながすのだ。惜しみなく。−と私はそう信じる。
 しかし、消え去っていくものへの、とり返しのつかないような懐かしさ。それはまた何か身体からはがされて行く、にぶいうずきでもある。(p.149)

 神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向かい合うのだ。(p.168)

沖縄県の歴史 - Wikipedia