「死の棘」: 島尾 敏雄 (1)

死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)

 旅行に持っていって読み始めて、まだ読みかけ。やっと半分くらい。読書スピードの遅さに我ながら唖然。でも、なかなか読み進められない。やっと300頁を超えたところ。重い。私小説の極北。
 子供二人を拵えながら、外泊を重ね、浮気に懲りる風でもない夫に南国の島育ちの妻のミホはノイローゼ、というか発狂してしまう。それに狼狽える夫。なだめすかしたり、自分も狂った風を装ってみたり。
 愛というのは、主観であって、客観的に証明できる筋合いのものではない。自分だけが自分に証明できるもの。疑い出せば、その疑いを晴らすことは不可能だ。その疑いの中でもがき求め合い、求めるものを見いだせない二人。それでも逃げることの出来ない二人。死ぬことも出来ない二人。互いを信じることも出来ないままの二人だけの愛の迷宮。闇に囲まれた二人だけの果てしない問い。決して届くことのないかのような答。その絶望の中で、目の前にいながら、数千光年の彼方からのような問を止めることの出来ない必死なミホ。
 子供二人は悲惨です。でも、そんな子供すら構っていられない二人。浮気を繰り返してきた作者もひどい人です。でも、そんなにひどい人でも、妻や子供を捨て去ることは出来なかったのでしょうか。そんな、あれやこれやの詮索は、この二人の愛を巡る格闘の場では意味はありません。子供も関係ありません。世間も関係ありません。
 私はどうしたらあなたを信じることが出来るだろう?この小説は、この問に対する答をひたすら求め続ける話です。でも、そんな問に解はないでしょう。信じるというのは、100%主観的な行為です。誰も人を信じさせることなど出来ません。でも、信じたいのは自分ではなく自分以外の誰かなのです。この絶対的な矛盾。
 果てしのない疑い。果てしのない取っ組み合い。そこまで信じることが出来ないのに、お互いを求め合わずにいられない哀しさ。
 疑うことも愛であり、信じることが出来ないのも愛であり、それでも信じたいと思うのが愛なんでしょうか。なかなか進みませんが、読むのを止めることも出来ない小説です。