東京国際映画祭『実録・連合赤軍−あさま山荘への道程』@10:50@TOHOシネマズ六本木ヒルズ5

 衝撃の3時間10分。これは、何故彼らはそうしたのか、ということではなく、彼らは何をしたのか、という映画だ。日本赤軍と当時から密接なかかわりを持ち続けてきた若松孝二監督が、これを作らずに死ねない、と思い続けてきた映画を遂に完成させた。
 上映後のティーチインでも、俳優さんが「実際に存在した人だし、遺族の方のことを考えると、軽々しくは演じられない。死ぬ気でやろうと思った。」と話していたけど、そういう気持ちが伝わってくる映画だった。
 上映前の監督あいさつで「3時間10分の映画だから、皆さんにトイレに行っておくように言ってください」と監督が言っていたけど、そういう気配りの細かさに、この人の人柄というかやさしさの一端みたいなものが出てたような気がした。それと同時に、やくざの世界の礼儀のように、虚礼ではなく、間違えばいつでもドスが抜かれるような凄みもあるのだけれど。ある意味、トイレになんか立たずに覚悟を決めて見てくれ、ということでもある。この『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』の「実録」というのも、やくざ映画風ではある。
 300人くらいの会場が半分くらいの入りだったろうか。出演者を20人も舞台挨拶に登場したのが壮観だった。


 冒頭は当時のニュースフィルムが挟まれながら、赤軍結成から連合赤軍成立の頃までが駆け足で語られてゆく。アジ演説のシーンなんかは、なんか、今一つ様になってないなあ、なんて気がしたりもする。
 それにしても、改めて痛々しいのは、これらの登場人物がみな20代の若者だということだ。でも、昔の方が、見た目はおっさんくさかったんじゃないか。あの頃の20代は、今の20代のように子供っぽくなかっただろう。
 若松監督が語っていたように、その若者が遠いベトナムで行われている戦争に対して、本気で怒り、政治行動を起こし、自分たちの手で世の中を変えようとしていたのに、もはや、イランでの戦争に対して、声を挙げて政治行動を起こそう、などと本気で思う日本人の声などかき消されてしまうささやきほどのものだ。でも、遠い行ったこともない国のことを、自分の問題として考え、行動する若者がいた時代があった。それがどうしてこうなってしまったのか?
 しかし、若松監督はそのことを論じるために、今の視点で再構成したり、フィクションを導入したりしない。彼自身は終始一貫して連合赤軍のシンパであり、彼自身ずっと公安警察にマークされてきた人である。あの上映に際しても、観客の何名かは警察の公安関係の私服刑事だったかもしれない。彼は、パレスチナ日本赤軍メンバーを何度も訪れてきた。
 その彼が、今この赤軍の話をどう描くのか?という点が興味津々だった。彼は、事実をありのままに述べようとしたし、それに成功したと思う。上映後のトークでも、山荘内部の話は直接赤軍メンバーから聞いた話で、脚色として付け加えたのは「本当の勇気がなかったんだよ!」というところだけだ、ということだった。終始一貫して、赤軍側の話として作られているが、どんな残虐な暴力や仕打ちに対してもカメラは目をそらさず、かって実際に起こった話を描いていく。そこには感傷も美化もない。その若松孝二の姿勢に感動もするのだが、彼をして事件からこの映画を作るまでにこれだけの時間が必要であったということの重さにも打たれるし、その月日の中でこの事件に至るまでのことを風化させなかった彼の仁義のようなものに圧倒された。たやすく感動などと言わせない若松孝二監督に、ただ敬意を表したい。


 連合赤軍の軍事部隊(と呼ぶには余りに弱く、犯罪組織と言うには余りに過剰だ)が地下に潜り、「軍事訓練」が山の中で行われるあたりから、物語は凄惨を極め始める。警察への密告者の処刑。「水筒を忘れるとは」というあたりから始まる「総括」は、切りのないエスカレートを始める。「化粧をしてるのはなんのため?ここに何しに来ているの?」というあたりから、永田洋子がどんどん鬼と化してくる。一人死んでしまうと、後は脱落するものが出ないように、恐怖をエスカレートさせていくことでしか集団を維持できなくなっていく。兄弟の「総括」に参加し、アジトの外に体を縛り付けられ食事も与えられずに死んでいく兄弟を見ているしかなかった加藤兄弟。暴力の果てに死んでしまうならまだマシで、寒さと餓えで息を引き取っていった者達。最初は「総括」に納得していなかったものの、人格が崩壊して顔の形がが変わり果てて、化け物のようにしか見えなくなるまで自分を殴り続けて死んでいった遠山美枝子。
 その遠山に「自分の顔を見て御覧なさいよ」と鏡を差し出した永田洋子は、挙げ句の果てに森と肉体関係を結び、坂口に「私は森さんが好きになったから、あなたと別れて森さんと結婚する。これが共産主義化の観点から正しいことだと思う」と一方的に離婚を告げるところまで来ると、もうなんと言っていいのか分からなかった。


 人間、自分のエゴのためだけになかなか人を殺せるものではないと思う。それが、何かの”大儀”というのが出来てしまうと、人間何でもやる。そして、一度、こういう動きが始まると、それを止めることはなかなか出来ない。「裏切り者」のレッテルが貼られてしまうからだ。
 それは、終わりの見えないゲリラ戦に巻き込まれていったベトナム戦争も、連合赤軍のリンチ殺人も同じことだったのではないだろうか。オウムの話にしても、そういうところはあっただろう。若松監督もトークで「こうした粛正は世界中至るところで起こってきたことだし、それが政治の世界だ。彼らのリンチ事件を正当化しようとは思わないが。」という意味のことを言っていたが、正にその通りだと思う。
 殺人にまでは至らなくても、間違っていると知りつつも、閉鎖的な組織は一度動き始めると個人の力では止めようがなくなり暴走する。

時効なし。

時効なし。

http://history.15cc.net/1969a.html
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http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/rengou.htm
レッド(1) (KCデラックス)

レッド(1) (KCデラックス)

 山本直樹連合赤軍の漫画を書いている模様。読んでみよう。