東京国際映画祭『高麗葬/キム・ギヨンについて私が知っている二、三の 事柄』18:20@シアターコクーン 

 韓国のキム・ギヨンの60年代の白黒作品と彼を回顧するインタビューの二本セット。
 『高麗葬』は、飢饉とうば捨ての話。息子を食わせるために先に10人の子供を持つ男と再婚する母親。結婚の祝儀を払えぬ男に、巫女は妻のつれ子がいつか10人の兄を殺すだろうと予言をする。男の母親は嫁が来たのを見届けて、うば捨て山に向かう。10人の兄弟は、母親がこっそりと芋を1個弟に食わせるのを見つけ、毒蛇を新しい弟に仕掛ける。このときの毒が原因で弟はびっ子になってしまう。母親は父親に離縁を申し入れ、いくばくかのとちを引き換えに手に入れる。月日が流れるが、びっこの息子には嫁が来ない。やっと来た嫁は、聾唖だった。その嫁も10人の元義理の兄に誘拐されて強姦されてしまう。聾唖の嫁は兄の一人を誘い出し、殺してしまう。それを問い詰めに来た兄達に追い込まれて、彼は妻を殺す。飢饉は一層ひどくなり、彼の求愛を一度断った女もたくさんの娘と病気の夫とともに、食物を求めて村に帰ってくる。しかし、村で芋を持っているのは彼だけだった。彼女は、巫女の陰謀で年端も行かぬ幼いあばたの娘を彼の幼な妻に差し出すことになる。そして、彼女は娘を遂には巫女のいけにえに差し出す羽目になる。彼女の夫は、娘たちを食わせていくために、おれが死んで三年喪に服さなければならなくなる前に、あの男の妻になれという。彼女の娘がいけにえになった儀式がついに行われ、男の母親はうば捨て山に、雨が降れば彼の妻は許されるということになる。彼は泣く泣く母親を山に捨てに行く。そして、ついに雨が降る。しかし、彼の新しい妻は巫女の古木に吊るされて殺されてしまう。彼は怒り狂い、古木を切り倒し、巫女を殺し、兄弟全員を巫女の予言通りに殺すことになる。
 と、まあ、なんかすごい話なのだが、その後のドキュメンタリーを見ると、今の若い韓国の映画監督にもこれはカルトムービー的なものらしい。韓国らしい頭に血が昇った映画だったなあ、と思う。