山下達郎、ニコン企業CMの音楽を担当

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「曲作りの際、真っ先に思い浮かんだのは、モノ作りに携わる多くの技術者の方々の背中です」

 山下達郎はデビュー以来CMソングを山のように手がけてきたのだけれど、これはなかなか感動的。大体、山下達郎ニコンって(笑)。日本の二大職人といっても良いんではないかと。山下達郎、カメラは絶対ニコンだろうな。他のメーカーのカメラを持っている山下達郎って想像できない(爆笑)。山下達郎に写真の趣味があるかどうかなんて知らないけど。でも、絶対ニコンだ(笑)。
 あのこだわり感って、なんなんだろうと時々思う。まあ、私も技術屋だったこともある訳だし、その意味じゃ、ニコンって尊敬していた。山下達郎も"Ride On Time"の頃から聞いてますよ、はい。確かにこうして並べてみると、似ているんだよな。日本のカメラメーカーって、第二次大戦前はドイツのメーカー(ライカとか)のコピーがしたくてしょうがなかった訳。山下達郎ビーチボーイズのコピーをやりたくて仕方がなかった訳(といいつつ、実は、『ルックスに自身があればハードロックをやりたかった』とか、『アナーキーのアルバムは発売日に買いに行った』というロックな人でもあったりするんだけど)。そのコピーをするうちに、いつかオリジナルを越えた今のスタンダードになっているというこの不思議。
 試しに山下達郎のCDをアメリカに持っていったことがあるんだけど、これが違和感ありまくりだったのを思い出す。何となく、山下達郎ビーチボーイズ〜カリフォルニアみたいなイメージがあるんだけど、あそこで車のラジオで聴く音楽というのは、開放感がなければ気持ちよくない。カーラジオから大音量で聞こえてくる音楽としては、山下達郎って、余りに高精細というか、できすぎというか、クオリティー高杉というか、作り込みすぎというか、広がっていくと言うより中にこもってくる音なんだよな。もちろん、ビーチボーイズサウンドを作り込むと言うところにかけては、化け物なのだけれど。ただ、なんか方向が全然逆なのだ。
 それは、佐藤亜紀の小説を読んだ感想とも通じるというか、海外の作品の影響下で日本人(には限らないんだけど)が何かを表現しようとするときのパターンなのかもしれないけれど、そうして作られた作品はそのモデルの場所で現地の人が読んだり聞いたりするためのものではなくなっているということなのだ。それこそ『夢のカリフォルニア』の世界になってしまうのだ。
 それは、むしろ良いことなんだと思う。想像の中で想像の世界に向けて作品を作る。何かを表現する。カリフォルニア発祥のサーフ・ロッドに憧れて、音楽を作る。ドイツの職人の磨き上げられた技術に憧れて、カメラを作る。そうして出来たものは、カリフォルニアの地域性や、ドイツの風土とも、実際には無縁で、想像の世界の為に作られている。その想像の世界は、実はオリジナルの地域性よりも普遍的なものになりうる/なっているのではないだろうか。
 それは、イミテーションの魅力に限りなく近いが、似て非なるものなのではないか。オリジナルの世界よりも、想像や空想の世界の方が、はるかに普遍性があるのではないか。