「放送禁止歌」 (知恵の森文庫): 森 達也

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

 読了。
 この前のラジオ番組で興味が出たので、読んでみた。著者はテレビ・ドキュメンタリーの監督。まず、テレビで放送禁止歌を取り扱った番組を彼は作ったのだが、その話から、さらにその後の後日談や取材を加えて、放送禁止歌がどのようにして出来たものなのかを追ったのが本書。
 実は放送禁止歌というのは、法律などで明確に規定されている類のものではなく、ガイドライン的なものだったが、今ではそれもなくなっている。にもかかわらず、放送局側の自主規制という形で、放送されなくなった歌が放送禁止歌。要は、メディア側の腰が引けているので、臭いものには蓋をしているのが実体。にもかかわらず、このことをメディアの内部の人間も十分に理解しておらず、民放連が放送禁止と決めたと思いこんでいる。カフカ的な世界。
 こうしたタブーができた遠因は、60年代の部落解放運動に行き着く。代表的な放送禁止歌である岡林信康の「手紙」も、「竹田の子守歌」も、どちらも部落同和問題に触れたことが指定の原因と言われている。そこで、岡林信康にもコンタクトを試みるが連絡がつかない。連絡人を通してしか連絡が取れないらしい。そこで、「竹田の子守歌」の歌詞の解釈が焦点になってくる。。。
 こうした厄介なテーマに取り組んだことは、称賛されてしかるべしだと思う。メディアの自己規制が焦点として浮かび上がってくる以上、自分の姿勢を問いただす書き方になってくるのも当然だと思う。
 だが、その結果感傷的な箇所も目立つし、「私」ドキュメンタリーのようなところもあって、うっとおしいところもあった、というのが正直なところだ。確か、「下山事件」でも、著者がこの人のやり方にずいぶん憤慨していた。当事者間の事実関係がどんなことになっていたのか分かる訳でもないし、そもそも、そんなことには興味もないが、そういうことがあっても不思議はないだろうな、と思わせるようなところは、この本を読んでいても感じる。確信犯的に独断的なことを深く考えずにやっているところは、しばしばあるし、自家同着的な反省しかできない割には、取材対象を追及するときだけはずけずけと突っ込んでいるところが感じられて、いかにもテレビの人という感じがする。テレビ屋さんが書いたドキュメンタリーという感は拭えない。