逝きし巨匠を偲ぶ

 イングマール・ベルイマンミケランジェロ・アントニオーニが亡くなられた。二人とも高齢で既に引退状態にあったわけで、衝撃を感じたという類の訃報ではないのだけれど、難解と言われる種類のヨーロッパ映画では、まず名前の上がる二人が続けて亡くなられたという偶然は何か偶然とは思いたくないほど良くできた話のようで、何かもっともらしい意味でもでっち上げてみようかとも思ったけど、何も思いつかない。ただ、はっきりしているのは、これでゴダールがヨーロッパの最長老となったということだ。約1名もっと生物学的には長老というべき方もいるけれど、あの方は若手と数えた方が話が早いので、こう言っても間違いではないだろう。最長老というのは、どう言うことかというと、先行する世代がもう誰もいないということだ。それって、とてつもない孤独かもしれない。
 あのくらいの年にまでなれば、二人とも往生されたということと思いたい。DVDはともかくなかなか映画館でも見る機会が亡くなっているので、これを機に特集上映が行われるなら、それは個人を偲ぶとともに彼らの作品を再び見返すまたとない機会なのだと思う。
 と言っても、あの時代の彼らの作品をどんな視点から見れば良いのだろうか。アントニオー二の映画なら、「赤い砂漠」とか「欲望」は、今見るとやっぱりつらいのではないかと思う。ベルイマンなら、「第七の封印」なんかはやはりつらいと思う。難解と言われる由縁の深い意味が背後に含まれた表現みたいなものが、どうでも良いようにしか思えない時代になってしまったのだから。そうしてみると、どうしても彼らがそこに至る道のりを始めたあたりの初期の作品のみずみずしさみたいなところに目を向けるということになるんだと思う。意味よりも感性で彼らがまだ映画を作っていたころの作品だ。
 そうした作品としては、アントニオー二ならやはり「さすらい」とか、ベルイマンなら「不良少女モニカ」みたいなところから始めることになるんだろうな。
 こうして二人並べてみると、いわゆる「難解な映画監督」という共通項もさることながら、二人ともその土地の空気のようなものを見事に捉えフィルム化して見せた監督だと思う。イタリア北部の湿った泥濘と霧が立ちこめる憂鬱な雰囲気をアントニオーニ以上に見せた監督はいないだろう。そして、ベルイマンのあの北欧独特の弱い光。ヴィクトル・シェストレーム、カール・テホ・ドライヤーあたりからずっとつながっている北欧の光で撮る映画の流れの中からベルイマンも生まれてきたのだと思う。
 「ペルソナ」と「さすらい」を、また、見かえしてみたい。夜中に一人しみじみと見てみようと思う。