FUJIROCKを振り返る(1)

 (1)なんていきなり付けるか?と思うのだけど、その位のひきずりっぷりなんですよ、これが。三日のうちの一日しか行っていないと言うのに。ホントに何も考える気がしない。廃人ですよ。なんだ、この虚脱感。なんか、いろいろな日々の生活の馬鹿馬鹿しさから完全に解放された時間を経験してしまったら、なんだか、もうあれもこれもどうでも良くなってしまった、というか。まあ、失踪してホームレスになる根性もないから、心配する必要もないんだけど。昔のヒッピーとか、ああいうのになりたいという気持ちが分かるような気がする。解放されるという経験すると、どうでも良いこととそうでないことを区別する基準が何かということが見えてしまうというか。経験の問題だから、それは多分人に言っても通じないし共有出来るとは思えない。なんか、黙って、あれはなんだったんだろうな、とぼんやりしているしかないような気分なんですよ。。。といいつつ、しっかり仕事してきた訳だけど。


 いよいよグリーンステージに登場したJOSS STONEは裸足にミニのワンピで、それがセクシーと言うよりも、かわいいな、と素直に思えたのは、彼女はまだ20歳なのだから当たり前だ。彼女の歌を始めて聞いたときに思ったのは、「旨いし、凄いフィーリングだけど、もっとパワフルなボーカリストって、有名なアポロ劇場のアマチュア・ナイト(今あるのかどうか知らんが)みたいなとこ行けば、いくらでもいるんだろ〜な〜。ちょっと、エンジンのパワー足りないかなあ」くらいの感じだった。まさか、これが20歳のあんな美人のイギリスの白人の女の子だとは思わなかった。というと、なんか偏見に満ちているが。でも、聞いているうちに、すっかりはまってしまった。声量があるとか、オクターブが出るとか、そういうパワーとかスペックではないのだ。上手いのだ。フィーリングの天才なのだ。野球選手で言えば、身長187cmで155km出します、みたいなタイプじゃなくて、コントロールと変化球のキレの天才みたいな感じなのだ。そういうタイプというのは、普通技巧派と言うことになってしまって、技巧というのは経験と練習で身につけるもの、という先入観があるので、こういうタイプの天才というのは余り天才とは言わないのが、世の中の常なのだが、彼女の歌を聴いていると、表現力の天才なんだと思う。


 何曲かやったところで雨が降り出した。観客はみんな雨具を取り出して装備を調えた。雨脚はますます激しくなった。雹になるんじゃないだろうかと思うくらいの勢いだった。曲が終わったところで、彼女はマイクをスタンドに戻すと、ステージの左側に駆けだした。そして、屋根に覆われず雨が叩きつけているスピーカーの前までやって来て、どれだけ雨が激しく降っているのかを確かめるかのように、シャワーを浴びるかのように、しばらく雨の中に体を任せた。我々は、一つの天の下、雨に打たれた。そして、彼女はマイクのところまで戻ると、嬉しそうに「どう、雨は気持ち良い?」と観客に呼びかけた。


 それだけのことといえばそれだけのことだし、それは成熟した女性よりも少女に近い20歳の女の子らしいまだ無邪気な振る舞いとも思えるのだけれど、あの時、彼女は天使だったのだし、我々は同じ空から振ってくる雨を一緒に浴びていた。一つの時間、一つの空をあそこにいた人は全て分かち合っていた。それが何だと言えば、それはそれ以上でもそれ以下でもないし、ただそれだけのことだと思うが、それ以上のことが我々が生きていく中でどれだけあるんだろうか。


イントロデューシング・ジョス・ストーン

イントロデューシング・ジョス・ストーン