「日本の喜劇人」: 小林 信彦

日本の喜劇人 (新潮文庫)

日本の喜劇人 (新潮文庫)

 殆ど名前しか知らないような人の話ばかりなのだけれど、芸論的に何となく読んでしまった。面白かった。
 宍戸錠について、のこのくだりなんか秀逸。

 ここで、宍戸錠が考えたのは、自分の演ずる人物が、全くのフィクションであることを強調することによって、逆に、役の存在理由を主張するという方法である。
 私の知る範囲に置いて、宍戸錠は常に醒めた人物であり、自分を突っ放してみることの出来る珍しいスターである。その知性は、むしろ役者として欠点ではないかと思われるほどである。
 この醒めた道化師が、小林旭という無意識過剰のスターとぶつかるとき、1+1=3といったおかしさが生まれた。

宍戸錠を、この本の流れの中で取り上げるというのが、すごい。

 大阪の芸能界を見ると、<煮詰まっている>と私はいつも感じる。
‥‥‥
 ここでは<批判的でありながらも友人>といった関係は成立しない。白か黒か、そのどっちかしかないのである。三つか二つかの派のいずれに属するか、問いつめられる。地方性というのは、こういうことである。

 自分がよく知らない世界でも、こういうどきっとさせられる部分があちこちにあるので、最後まで読んでしまった。

「『次郎長三国志』のとき、マキノさんはね(以下、マキノ雅弘の物真似になる)”とにかく、右を斬るときは左を見ろ。左を斬るときは右に顔を向けろ。そうすれば、強そうに見える。あとは、おれが適当につないでおく”−あの人には、随分、映画というものを教わりました」

 うっ、『次郎長三国志』見たくなってきた。
 この本の中でずっと拘っているのは、コメディアンが中年にさしかかるにつれて、体を張ったドタバタから、人情味のある役者を目指し始める森繁症候群である。お笑いよりも、真面目なものの方が偉いという上昇志向に対する異議申し立てがこの本のテーマである。喜劇が真面目に取り上げられるに値するものだ、ということを証明するために、これだけきちんとした評論を書いたのだと思う。
 今のサブカル的には、そんな書き方をするって事自体が上昇志向じゃないの?みたいな疑問もあるかもしれないけど、こういう仕事をやった人がいるから、お笑い当然OK、ということなんだと思う。