科学と浪漫(3)

2007-04-20 - My Life Between Silicon Valley and Japan

それと同じことが今「知性の研究」の分野で起きつつあるんだ。お前たち、ロマンティックな研究をいくらやっていても「グーグル的なもの」に負けるぞ、時代はもう変わったんじゃないのか。

 なんか、しつこいけど、もう一つ言いたいことがあるので。それは。人工知能とか認知心理学的な世界における「グーグル的なもの」って何か?ということ。それって、「惑星ソラリス」みたいなものなんじゃないだろうか。
 「惑星ソラリス」というのは、ポーランドの作家スタニスワフ・レムのSF小説をアンドレイ・タルコフスキーが1972年に映画にしたものだ。この惑星に近づくと、惑星ソラリスは周回軌道を回る宇宙飛行士の思念を読みとり、彼の記憶にあるものを物質化して、彼の目の前に出現させる。彼の自殺した妻も彼の目の前に現れる。しかし、ソラリスは人間の記憶を鸚鵡返しに物質化してみせるだけで、人間との意思疎通を行おうとしているのだろうか?・・・。という話なのだが、このソラリスというのが「グーグル的なもの」なんじゃないのかと思う。
 グーグルは検索エンジンで、バリバリの力づくで検索語に関連のあるホームページを見つけてくるだけだから、なんにも知的なことなんかやっていない、本質を見いだす洞察力や人間の構想力こそが結局重要なのだ、という単純なレスポンスも出てたけど、本質的にはこれはそれほど単純な問題ではないし、新しい問題でもない。「四色問題」どころかルネッサンスくらいまで遡るかもしれない。要は、人間はいかに他者の存在を認識することができるか?という話だ。柄谷行人なら「内部と外部」と言う話だ。
 人工知能の世界の常識の「チューリング・テスト」を考えてみればいい。
チューリング・テスト - Wikipedia
グーグルは質問にかなり良く答えている。勿論、HPを示しているだけと言えば、それだけなのだけど、その精度を考えると、かなり「知性」に近づいているだろうし、「知性」が実現するきっかけが見えるかもしれないと言うところまで来ているのかもしれない。
 そういう意味では理解出来るんだけどな。でも、問題は、それは「知性を作る工学的方法」ではあっても、「知性とは何か?」という問に答えるサイエンスじゃないってことなんだよね。でも、もし、それが出来たとしたら?何故できるのか分からないけれど、できちゃったら?どうしてそうなっているのか、納得出来なくても、「知性」として受け止められるようなものが作れてしまったら?サイエンスでは理解出来ない機械が出来てしまったら?それが、量的なアプローチで質的なブレークスルーを実現してしまったら?
 そういう問題は、まあ、昔からあるんだけど。「四色問題」をしらみつぶしで解決して、それが何になるのか?って辺りでもさ。
 という辺りの問題を分かっているはずの茂木さんがアジテーションなんて評論家みたいなことをぬくぬくしてて、ベンチャーでドカ〜ンとなんかしたりしないところが日本の限界みたいな気がして、暗澹とした気分になるんだよねえ。グーグルが論文出さないなんて、どうでもいい話だって。論文なんて歴史に残らないんだから。ああいう論文云々なんて低レベルのレスポンス見ると、あ、だから、日本ダメなんだよなあ、としみじみ実感するんだよなあ。と、評論家的な物の言い方しちゃうけどさ。市井の非力な一市民としては。
 ああ、今日も武田泰淳の「我が子キリスト」の話も、Patti Smithの"Twelve"の話も、江古田ちゃんの2巻の話も出来なかったorz....。

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