銃という道具

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 射撃は2回ほどアメリカでやったことがある。アメリカでは、本物の銃を使った射撃場があちこちにあって、免許なんてなくても、行けばいきなり撃たせてくれる。
 いきなり片手で撃つと手首がいかれるので、両手で撃つようにいわれる。的は、何種類かの紙に印刷されたものを洗濯ばさみでぶら下げて、15m位先に動かしてそれを狙う。そのレーンが幾つか並んでいて、ボーリング場みたいな気楽さである。耳がいかれないように、ヘッドフォンをする。マグナムみたいな結構でっかい銃を撃ったと思う。銃弾が発射するときに反動で、どうしても手首が上に上がってしまうので、それを計算に入れて撃たないとなかなか当たらない。
 何種類かの紙の的の中には、当然人の形をしたものもあった。でも、これは生き物を撃つ道具なんだな、なんて考えながら撃っていただろうか。これで人を殺せるなんて余り気にもせずに撃っていたと思う。なかなか当たるもんじゃないけど、さすがに始めてでもちゃんと玉を撃つことは出来る。しばらく撃っていると、さすがに手首に応えるけれど、その程度のものだ。
 銃というのは生き物を殺す道具だ。そして、それを使っても、自分には殆どなんの肉体的痛みも生じない。武器というのは、そういうものだ。人の痛みを感じないための道具、と言ってもいいだろう。
 人を殺すことも当然罪だが、銃を撃つという行為で殺す側が危険や痛みを被ることはない。ナイフよりも対象から離れることが出来るのだから、殺す側にとってははるかに安全である。銃という道具が提供する使用者の安全さ、人を殺す際に伴う危険の回避、と言うエゴイズムをそのまま機械にしたようなところが、銃犯罪を決定的に卑怯なものと感じさせるのだと思う。