「LOFT」監督:黒沢清@テアトル新宿

http://www.loft-movie.com/
 狙った訳ではないが、古代の出土品を見た後、ミイラの映画を見ることに。こういう偶然の符合って、時々あるけど不思議だ。
 さて、一体、誰がホラー映画の偽装の下で、「裏窓」をするだろうか?この慎ましくも図々しい姿勢が黒沢清の真骨頂だ。慎ましいかと思えば図々しい。図々しいかと思えば慎ましい。ああいえば、こう。こういえば、ああ。その大胆と繊細の出したり引いたりの駆け引きの呼吸が、彼の映画を見る面白さだ。それは、かくれんぼうに似たゲームかもしれない。ちょうど、この映画の幽霊のように。クロサワにとっては、それがホラー映画なのではないだろうか。
 ネットに流通する動画やネタを見ても、一番広く人気を集めるのは、エロとお笑いだ。それが普遍的な感情に根ざしたものだからだ。官能や哄笑に対して、恐怖というのも同様に普遍的な感情だけれど、誰もが興味はあるが、実は見たくないけど実は見たい、という非常にアンビバレンツなややこしい感情だ。だからこそ、彼の映画のテーマに相応しいし、彼の映画そのものがそうしたダブルバインドなものを巡るゲームなのだとも言える。それが、実際に怖いかどうかは別として。そこが、彼の撮る映画がジャンル映画としてのホラー映画に収まりきれないものになっている理由だと思う。

「ミイラを2.3日預かってくれませんか?」

「自分で動けるんなら、最初から動け!」

 こんな風に、腹が捩れるような爆笑と底知れぬ恐怖を同時に味わったことは、今まで無かったかもしれない。二つの極限的な感情を同時に感じると、笑うことも怯えることも出来なくなる。二つの大きな力で左右に引っ張られているのに、その中央にあるが為にどちらの力も体感出来ないような、そんな奇跡的な均衡にあることの戸惑い、とでも言えばいいだろうか。その戸惑いを体験するために、我々は彼の映画を見に行く。
 あのミイラもそうだし、ロボットでも、なんでもいいが、彼の映画の中の怪物は、怖いのか怖くないのか良く分からないところが怖い。ちゃんとしたホラー映画なら、呪うには呪うだけの大義名分がある。それが、いつもどうにもはっきりしない。そこに身の毛もよだつ悪意があるのかどうかはっきりしない。なんだか、鬼火か何かのような自然現象のようで、どう怖がればよいのか良く分からない。という怖さがある。人間のような感情や意志を持たない何か、我々が理解出来ない何か。それはオカルトというよりも、運命とか偶然という方が近いのではないだろうか。
 中谷美紀と安達由実が素晴らしい。中谷美紀って、顔が完全に左右対称な美人で、今の時代には古典的すぎるくらいの美人なのかもしれないけど、内面の強いものを感じさせる女優だと思う。そこが今の時代にマッチしているんじゃないだろうか。安達由実というと、もう永遠の天才子役な訳で、それがああして大きくなっているというだけで、何となく怖いところがある。あの声と自分の持っているイメージはそのままなのに、体だけ大きくなっているって、何となく、それだけで妙な違和感があって、無気味なのだ。というと可哀想だけれど、でも、この映画ではそこが良いのだ。
 今回も相変わらず音がスゴイ。生録に近いような取り方をしてるんだろうか。所々聞き取りにくかったりするところもあるが、それが普通の映画の枠を越えた生々しい感触を映画に与えている。彼の映画の音に対する感覚は、ゴダールの映画に匹敵せんばかりの特筆すべきものだと思う。