江戸東京博物館・特別展「始皇帝と彩色兵馬俑展 」


http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/index.html

午前9時30分〜午後5時30分(土曜日のみ19時30分まで)
JR総武線 両国駅西口下車 徒歩3分
都営大江戸線 両国駅江戸東京博物館前) A4出口 徒歩1分

兵馬俑 - Wikipedia
 兵馬傭を見に行く。結構混んでいた。展示もさることながら、あのお土産物屋の充実ぶりは何なのだ?外人さんに勧めるといいスポットだなあ、と思った。変なお土産物屋で外人向けの安物掴まされるのも可哀想だし、ああいう日本人の御客向けのところなら、まあ、一応まともなお土産物があるので、外人の期待する変に歪んだ悪趣味なジャパネスクのイメージにおもねって作ったお土産物を持って帰ることもないだろう。相撲関連グッズとか、異常な充実ぶり。手ぬぐい、マグカップ、相撲ネクタイ、もうこれでもかの充実ぶり。見ているだけで結構楽しい。あ、お土産物買いに行った訳じゃないんで、何も買わなかったけど。
 秦の始皇帝が自分の墓に作った巨大な西安の地下帝国。何千、何万の人形に囲まれた皇帝の墓。90年代に発見されてから調査が続けられ、彩色を施された人形も近年発見されている。その人形や出土品が多数展示されている。
 古い時代のものの方が写実的。世界中どこの古美術品でもそうだけど、やはりこういう古いものは自然な描写に素朴な伸びやかさがある。批評など存在しないし、先行する作品など余り無い時代ならではの、ものを作る喜びのようなものがある。馬とか鳥とか豚なんかの肉付きが、なかなかのもの。
 でも、悲しいかな、人形だけではスケールの大きさがぴんと来ない。人形自体も一つ一つ迫力があるが、一つ一つをとって美術品として見てどうか、というものでもない。何せ、これは何千、何万の人形のほんの一部なのだから。CGの色つきビデオがそこを上手く説明していた。現在中国では、こうした墓をそのまま博物館にして、ガラス越しに墓の中を歩き回って見ることができるようにしようとしているらしい。これはすごい壮観だろうな。中国人の商魂おそるべし。
 ラクダの人形もあったり、宝飾品も金とトルコ石の剣の柄なんかも凄くエキゾチックで、西方の影響が既にあったのかと思う。人形の顔立ちの中にも、インド・ヨーロッパ系の顔も混じっているらしい。決してこの時代の中国は閉じた世界ではなかった。匈奴の侵略と戦い、西方との交易もあり、開かれた世界だったのだろう。
 こうした事実を人形や出土品は我々に語りかけてくる。この『物が語る歴史』と司馬遷史記が伝える『言葉が語る歴史』の間のギャップはまだ未解明な点が多いようだ。司馬遷は同時代の人物でもあり、それほど間違ったことは書いていないのだろうから(誇張や脚色はたとえあるにせよ)、これはまだ資料が発見される可能性があるということだ。
 ふと思ったけれど、自分の墓に何を埋めてほしいだろうか?庶民でも、あの程度の瀬戸物の一つや二つなら、生前に用意しておくことはできない相談ではない。あの世でも音楽を聞けるように、ジミヘンの人形とか作っておくというのはどうだろう?ギターを燃やしてるとことか絵になると思う。二千年後にそれを掘り出した人は、何を思うだろうか?何かを埋めるということは、それを見つける未来の誰かへ宛てた手紙なのかもしれない。
 即位と同時に建設を始め、最終的には何千もの人形に囲まれて永遠の眠りについている始皇帝の願いとはなんだったのだろうか。彼らの世界観や死生感はどんなものだったのだろうか。我々は何故こうした過去の遺物にこれほどの興味を引き付けられるのか。二千年以上前にこんな世界を作って繁栄を極めた人々がいた。しかし、今やもはやその全貌を知るものは誰もいない。今日は、その二千年という全てを忘却の彼方に追いやる時間の長さを、いまだ形をとどめるものの中に測定に行ったのかもしれない。
 展示カタログに¥2200出す気はしなかったけど、Newtonのバックナンバーの方が詳しくて面白いし、1000円なのでこっちを買う。この特集がわくわくする。子供の頃に図鑑を読んだときのわくわくする気持ちを思いだした。こっちの方がお薦め。

Newton (ニュートン) 2006年 04月号

Newton (ニュートン) 2006年 04月号

 後で、またパラパラ読み直したい本。
司馬遷―史記の世界 (講談社文芸文庫)

司馬遷―史記の世界 (講談社文芸文庫)

孔子暗黒伝 (ジャンプスーパーコミックス)

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