「ビル・ゲイツの倫理と資本主義 の精神」もしくは、免罪符という仕組み

2006-08-19 - My Life Between Silicon Valley and Japan
 ビル・ゲイツは良いことしたし、もう単純にカッコイイと思う。とやかく言おうと言うつもりはないのだが、彼自身の中では自分の生き方の大転換に矛盾は感じないのだろうか。そこが良く分からない。
 がりがりあこぎな競争(マイクロソフトの競争がどこまであこぎなものか?ということ自体はあんまりどうのこうの言う気はない)をやって、一財産作ったとたんに慈善家に変身しちゃうって、内面でどうバランス取っているのか、やっぱり良く分からない。多分、経済的な効率から言うとこの方が効率良いのかもしれない。「全ての人が同時に豊かになる必要はない」と言ったのは、トウショウヘイだっけ?これがいわゆるマックス・ウエーバーが言うところのプロテスタントの倫理って奴なの?何だか合理的すぎないか?これは日本人的には有り得ないんじゃないか?何でもアメリカ方式という前に、落ち着いてよく考えた方が良い。
 まず、これは創業者だから出来る話。サラリーマン社長がこういうこと出来る訳ではない。無邪気なコメントがついているけど、株式会社は儲けてナンボの公器なんで、こういうことを日本の大企業がやったら、株主的には許せないでしょう。
 去年の10月末にシアトルに行ったときに見たSFミュージアムとロック博物館はポール・アレンのコレクションと寄付でできていたが、あれを見ると、良くできているが、もう少しましなお金の使い方はないのか?と、誰もが思う。少なくとも、ビル・ゲイツポール・アレンよりもお金の使い方を知っている。